プーチャオ・サミンプライ砦とは
プーチャオ・サミンプライ砦は、タイ中部・サムットプラーカーン県にある歴史的な要塞です。チャオプラヤー川東岸の平野部に位置し、川がタイランド湾へ注ぎ込む河口域(エスチュアリー)にあたるため、南側の海岸から洪水や潮汐の影響を受けやすい土地に建っています。
現在の状況
砦は現在、保健省疾病管理局ラージャプラチャーサーマサイ研究所(旧ハンセン病療養所)の敷地内、5階建てリハビリテーション棟の裏手にあります。隣接する低所得者コミュニティの影響などもあり、保存状態は必ずしも良好ではありません。しかし近年、プーチャオ・サミンプライ自治体によって木造部を中心とした修復事業が進められています。
標高と水路
標高は海抜約6メートル。付近を流れる水路はチャオプラヤー川です。
地形と地質条件
プーチャオ・サミンプライ砦は、チャオプラヤー川下流域のデルタ地帯(中央平野下部)に位置します。この一帯は土砂の堆積によって海面上に現れた土地で、現在も堆積が続いています。下流域は水深が浅く流れが緩やかなため土砂が沈殿しやすく、浅瀬が形成されては川の流路がしばしば変化します。流水による浸食・運搬・堆積こそが、この地域の地形を形づくる主要なプロセスだといえます。土壌はやや砂質を含んだ粘土質で、水に浸ると保水性が高いのが特徴です(タイ国家研究評議会・科学技術環境省、1995年、45〜46頁)。
考古学的基本情報
- 時代区分:歴史時代
- 時代/文化:ラタナコーシン期
- 年代:ラーマ2世治世(1809〜1824年)
- 遺跡種別:陣営・要塞
砦の構造と建築的特徴
プーチャオ・サミンプライ砦は、ラーマ2世(プッタロートラナパーライ)の治世に、チャオプラヤー川東岸沿いに築かれました。同じく東岸のシンデーモン砦、ラーフージョーン砦とともに、対岸西岸の5つの砦と連携する防衛拠点として機能しました。
砦本体は煉瓦と漆喰造りの2階建てで、屋根には瓦が葺かれ、木造部が組み合わされています。櫓(タレット)は六角形ながら各辺の長さが異なる独特の形状を持つのも特徴です。砦の周囲には正方形に巡らされた曲壁(カーテンウォール)がめぐらされ、四隅には見張り櫓が置かれました。この曲壁の痕跡は3つの砦で確認でき、現存状態が最も良いのは北側です。胸壁には一定間隔の開口部が設けられています。
階段を上ると上層の中庭に出ます。中庭の中央には兵士宿舎の建物があり、煉瓦・セメント造りで切妻屋根を備え、中央には切妻破風のポーチが付いています。建物内部は部屋に仕切られ、床には板材が敷かれています。アーチ型の開口部や柱など、西洋建築の影響がうかがえる装飾が施されていることから、西洋様式が流行したラーマ5世(チュラーロンコーン)治世に行われた諸砦改修の際に建てられたものと推定されています。
築城の経緯
プーチャオ・サミンプライ砦の建設には、ラーマ1世(プッタヨートファーチュラーローク)の強い危機感が背景にありました。当時、タイに身を寄せていたヴィエンチャン(ユアン)王家の人物が、長年滞在した末に帰国し、タイの戦略を熟知してしまったのです。再び侵略を受ける事態を防ぐため、王は沿岸都市を堅固なものに改めることを決意しました。
そこで王宮庁にチャオプラヤー川河口周辺の調査を命じ、新都市の建設地としてラートポー地区(サムットプラーカーンとバンコクの間)が選定されました。1809年、チャオプラヤー川左岸にウィッタヤコーム砦が着工されますが、ラーマ1世は都市建設の途上で崩御してしまいます。
後を継いだラーマ2世は建設を引き継ぎ、1815年に完成させました。新都市には「ナコーンクワンカーン」の名が授けられます。さらに海上からの脅威に備えるべく、東岸に3つの砦――プーチャオ・サミンプライ砦、シンデーモン砦、ラーフージョーン砦――の建設が許可されました。これにラーマ1世時代のウィッタヤコーム砦を加えると、東岸には計4つの砦がそろうことになります。
一方、西岸にも5つの砦、すなわちプラーン・ファイファー砦、カー・ヤイ砦、サットゥルー・パイ砦、チャックリット砦、プラーアーティット砦が築かれました。これらの砦は互いに連携して防御壁を形成し、背後には米倉、土造りの建物、武具を納める東屋が設けられました。川岸ではブイをつないだ鎖を張り巡らして川面を封鎖し、丸太製の杭を水路ごとにまばらに打ち込んでは、その間を何百本もの鎖で結んで固定するという、強固な防御網が築かれたのです。
近代以降の利用
ラーマ6世の治世以降、プーチャオ・サミンプライ砦はハンセン病療養所として転用され、今日に至るまで保健省疾病管理局ラージャプラチャーサーマサイ研究所としてその役割を担い続けています。
※本記事は、パウィニー・ラッタナシーリースック氏が編纂・データベース管理を行った資料をもとに作成しました。