考古学的発見

豚の記念碑(サハチャット記念碑)――バンコク・ラーチニー通りに佇むラーマ6世時代の史跡

豚の記念碑(サハチャット記念碑)とは

豚の記念碑は、別名「サハチャット記念碑」とも呼ばれる記念碑です。「サハチャット」とは「同じ年に生まれた者同士」を意味する言葉です。記念碑はバンコクのラーチニー通り沿い、旧城堀(クロン・クー・ムアン・ドーム)の西岸、ワット・ラーチャプラディット前のピグン橋たもとに位置しています。現在も保存状態は良好で、聖なるものとして人々の信仰を集めています。

基本データ

  • 所在地:ラーチニー通り沿い(旧城堀西岸、ピグン橋たもと、ワット・ラーチャプラディット前)
  • 標高:海抜約1メートル
  • 関連水路:クロン・クー・ムアン・ドーム(旧城堀)、チャオプラヤー川
  • 地質:完新世の堆積層
  • 時代区分:歴史時代(ラッタナコーシン期/トンブリー期/ラーマ6世時代)
  • 建立年:1913年
  • 種別:記念碑・城壁跡

建立の経緯――三人の「亥年生まれ」の思い

1913年(ラーマ6世治世下)は、チュラーロンコーン大王(ラーマ5世)の王妃であるスモーデッ・プラ・シーパッチャリンが50歳を迎える年でした。王妃は1863年、亥年(豚年)の1月1日に生まれています。

王妃と同じ亥年生まれだったクロム・プラヤー・リッサラーヌウィッティウォン(ダムロン親王)と、プラヤー・ピパートコーサ(チェレスティーノ・ザビエル)は、誕生祝いの献納品を贈ろうと考えました。しかし、王室からは「献納を受け取らない」という意向が伝えられます。そこで二人は、王への敬意を損なわない形として、王妃の干支である「豚」をかたどった記念碑を建立し、一般の人々が利用できる飲水用の給水施設を併設して、誕生日に王への善行として捧げることを提案しました。後にこれを知ったプラヤー・ラーチャソンクラーム(コーン・ホーンサクル)も参加を申し出たため、三人による共同建立が実現しました。建立者らは記念碑の写真と趣意書を作成し、共同出資者の名を添えて献上したといいます。

記念碑の姿

記念碑は南を向いた黒い金属製の豚の像で、岩を積んだ台座の上に据えられています。建立当初は大きな石塊を積み上げて台座としていましたが、現在はコンクリート製の台座に改められ、以前より高く、山のような姿になっています。

台座には幅80センチメートル、高さ58センチメートルの灰色の石板が嵌め込まれ、タイ語で6行にわたる碑文が刻まれています。内容はスモーデッ・プラ・シーパッチャリンへの祝福の言葉で始まり、続いて記念碑建立に出資した人々の名前が連ねられています。

「オーム……(中略)……スモーデッ・プラ・シーパッチャリン
その威光とご長寿が
シラーランのように永遠でありますように……(中略)」

署名:
クロム・プラヤー・リッサラーヌウィッティウォン
プラヤー・ピパートコーサ(チェレスティーノ・ザビエル)
プラヤー・ラーチャソンクラーム(コーン)

なお、建立当初は像に給水用の蛇口が取り付けられ、通行する人々に水を提供していましたが、後に取り外されました。

1994年の発掘調査――トンブリー朝の城壁が現れる

1994年、バンコク都庁(BMA)はタイ環境事業委員会とともに、旧城堀周辺の環境整備事業を実施しました。その際の現地調査で、サハチャット記念碑(豚の記念碑)の背後からレンガ積みの壁が発見され、芸術局(Fine Arts Department)が調査に乗り出しました。考古学発掘調査の結果、この壁はトンブリー朝の東側城壁であることが判明しました。

発掘では、記念碑の背後、旧城堀の西約7メートルの地点に5×8メートルの試掘坑が設定されました。城壁はレンガを7~8段積み上げて構築されており、使用されたレンガの寸法は13×27×5センチメートルでした。その後、この城壁は取り壊され、その上に歩道や各種建造物が造られています。

発掘結果から、トンブリー朝の城壁の構造は、ラッタナコーシン朝の城壁と比較すると、基礎部分の縁が内外に張り出す形式であることが推定されています。壁体は幅90センチメートルのレンガ造りで、内部は土で締め固められていました。

出土した遺物

調査では、地域産の陶器、古銭、屋根瓦、ガラス器、土人形などの遺物が出土しました。これらは地表から20~70センチメートルの深さにある粘土層から見つかっています。

まとめ

豚の記念碑は、王妃への敬意を公衆の便益というかたちで表した、ラーマ6世時代ならではの記念碑です。同時にその足元からは、失われたトンブリー朝の城壁の姿が確認されており、バンコクの歴史の重層性を今に伝える貴重な場所といえるでしょう。

執筆:カンニカー・スーティーラッタナピロム(Kannikar Sutheerattanapirom)