1922年11月、エジプト・王家の谷でツタンカーメン王の墓を発見したイギリスの考古学者ハワード・カーター。しかし驚くことに、この世界史上屈指の大発見によって、カーター自身が「発見の報酬」として直接お金を受け取ったわけではありませんでした。
発掘資金を支えたのはカーナーヴォン卿
カーターの長年にわたる調査活動を経済的に支えていたのは、イギリスの貴族ジョージ・ハーバート、第5代カーナーヴォン伯爵です。カーナーヴォン卿はエジプト学に深い関心を持つアマチュア考古学者でもあり、1907年頃からカーターに発掘の権利と資金を提供し続けてきました。
つまり、発掘隊の人件費や装備、現地での諸経費といったミッションにかかる費用はすべてカーナーヴォン卿が負担していたのです。カーターは専門家として発掘の指揮を執り、スポンサーであるカーナーヴォン卿は財政面を支えるという役割分担が成り立っていました。
二人の間で交わされていた契約
両者の関係は単なる雇用ではなく、当時の発掘界で一般的だった「分け前契約」に基づいていました。契約内容によれば、発掘で見つかった出土品の半分はカーナーヴォン卿の取り分となることが定められており、彼は出資の見返りとしてこれらのコレクションを手に入れる権利を持っていました。
16年の歳月をかけてたどり着いた歴史的瞬間
カーターが王家の谷でツタンカーメンの墓を本格的に探し始めてから、実際に発見するまでには長い年月がかかりました。資金の枯渇も何度か危ぶまれる中、1922年11月についに地下階段が姿を現し、封印された玄室を目の前にしたカーターは、有名な「素晴らしいものを見ますよ」という言葉とともに穴を開けたと伝えられています。
発見後の顛末
残念ながら、カーナーヴォン卿は発見の翌年である1923年に病でこの世を去りました。その後、出土品の多くは最終的にエジプト政府の管理下に置かれ、現在はカイロのエジプト博物館で公開されています。一方のカーターは、膨大な埋葬品の記録と整理作業にその後およそ10年を捧げました。
このようにツタンカーメンの墓の発見は、カーター個人の功績であると同時に、カーナーヴォン卿という理解あるパトロンの存在なしには成し得なかった、二者の協力による偉業だったのです。