考古学的発見

ポンペイはなぜ灰に埋もれたのか?ヴェスヴィオ火山大噴火の全貌

西暦79年、イタリア・ナポリ湾岸にそびえるヴェスヴィオ火山が大噴火を起こしました。この噴火により、ローマ帝国の繁栄を誇った都市ポンペイとヘルクラネウムは、灼熱の軽石や火山灰が降り注ぐ「軽石雨」と、その後に襲来した火砕流によって完全に埋没してしまったのです。

噴火当日、何が起きたのか?

この大噴火は、大きく二つの段階に分けて考えることができます。最初の段階では、噴煙柱が成層圏まで達するほどの凄まじい勢いで立ち上り、大量の軽石と火山灰が空から降り注ぎました。ポンペイでは、この「軽石降下」によって数メートルもの厚さに及ぶ堆積物が街を覆い、屋根がその重みで崩れ落ちる被害も相次ぎました。

決定的打撃となった火砕流の襲来

翌日には、高温のガスと火山砕屑物が山腹を時速100km以上で駆け下りる「火砕流(ピロクラステックフロー)」が発生しました。ポンペイは幾度にわたる火砕流に飲み込まれ、街は完全に灰の下へと沈んだのです。

ヘルクラネウムとの運命の違い

一方、ヴェスヴィオ山麓に近い位置にあったヘルクラネウムは、噴火のごく初期に火砕サージ(火砕密度流)の直撃を受けたため、住民の多くは逃げる間もなく命を落としたと考えられています。

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悲劇が遺した「時のカプセル」

皮肉なことに、この厚い火山灰の層が街を外気から遮断し、建物や壁画、さらには日常品までもが驚くほど良好な状態で保存される結果となりました。18世紀以降の発掘調査によって、古代ローマ市民の暮らしが今日も鮮やかによみがえっています。