ブーディカ(Boudicca、紀元30年頃~61年)は、1世紀のローマ支配下にあったブリタンニアにおいて、現在のノーフォーク地方を拠点としていたケルト系部族「イケニ族」の女王です。史料によっては「ボアディセア(Boadicea)」「ブディカ」といった表記も見られます。

反乱の勃発
ブーディカは、ローマ帝国に征服されたイケニ族の王プラスタゴスと結婚していました。プラスタゴスは紀元60年頃に死去しますが、遺言の中で皇帝ネロに取り入ろうとしたのか、自らの王国の半分をローマ帝国に遺贈しました。
しかし、ローマによる占領統治は決して穏やかなものではありませんでした。王国は事実上接収され、ローマ兵による横暴が相次いだことで、ブーディカはついにローマ帝国への反乱を決意します。史料によれば、女王自身と二人の娘がローマ兵に暴行を受けたことが、広範囲に及ぶ大反乱の引き金となったと伝えられています。
勝利と敗北
軍勢を率いたブーディカは、植民市カムロドゥヌム(現在のコルチェスター)、自治体ウェルラミウム(現在のセント・オールバンズ)、そして都市ロンディニウム(現在のロンドン)を次々と陥落させ、徹底的に破壊しました。
しかし、この反乱は最終的に鎮圧されます。ローマ軍を指揮したのは名将スエトニウス・パウリヌスであり、紀元61年のワトリング街道の戦いで、数的優位にあったにもかかわらず組織的な戦術を欠くブリトン人連合軍は壊滅的な打撃を受けました。
ブーディカの最期については諸説あります。敗戦後に病で亡くなったとする説もあれば、捕縛を逃れるため毒をあおって自害したとする説もあります。
現代に受け継がれる抵抗の精神
敗北した女王ではありましたが、圧倒的な大国ローマに立ち向かったその勇姿は、後世の人々の心を強く掴んでやみません。今日でもブーディカは、自由と尊厳のための抵抗の象徴として語り継がれており、ロンドンのウェストミンスター橋近くには、戦車に乗った彼女の姿を描いた記念像が建てられています。