ヨーゼフ・ゲッペルスとは
ヨーゼフ・ゲッペルス(Paul Joseph Goebbels、1897年10月29日~1945年5月1日)は、ナチス・ドイツにおける宣伝・情報統制の最高責任者であり、アドルフ・ヒトラーの側近として第三帝国の思想支配を支えた人物です。
生い立ちと学問
ゲッペルスはラインラント地方の都市レート(現在のメンヒェングラートバッハ市内)に、質素なカトリック家庭の子として生まれました。生まれつきの疾患により足が不自由で、生涯足を引きずって歩きました。この身体的コンプレックスは、彼の攻撃的で屈折した性格形成に深く影響したといわれています。
優秀な学生だった彼は大学で文学・歴史・哲学を学び、1922年にハイデルベルク大学から哲学博士号を取得しました。しかし作家やジャーナリストとして成功をつかむことはできず、失意の中で見出した新たな舞台こそが政治でした。
ナチ党での台頭
1922年頃から国家社会主義(ナチズム)運動に参加したゲッペルスは、週刊誌『フェルキッシェ・フライハイト』など党機関』など党機関誌の編集・執筆活動を通じて鋭い論客ぶりを発揮します。その弁舌と筆力を高く評価したヒトラーは、1926年8月に彼をベルリン大管区指導者に任命しました。共産主義勢力が強かった首都ベルリンで党の勢力拡大に成功した後、1928年にはナチ党全国宣伝部長に就任し、党のプロパガンダ全体を統括する立場となります。
宣伝相としての権力
1933年1月にヒトラーが首相に就任すると、同年3月には「国民啓蒙・宣伝省」が創設され、ゲッペルスがその大臣に任命されました。彼は報道・放送・映画・演劇・美術などあらゆる文化領域のナチ化を強行し、外国からの情報流入を遮断して国民の思想統制を確立していきます。
徹底した反ユダヤ主義者でもあったゲッペルスは、ユダヤ人迫害を自らの使命と位置づけていました。1938年11月の「水晶の夜(クリスタルナハト)」では、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)の焼打ちやユダヤ人商店への襲撃を扇動した首謀者の一人です。第二次世界大戦が始まると、宣伝省は戦意高揚と敵国中傷の道具として機能し、国家の戦争遂行を支える強力な武器へと変貌を遂げました。1943年のスポルトパラスト演説(いわゆる「総力戦布告」演説)は、その煽動的な弁舌の代表例として知られています。
最期
ゲッペルスのヒトラーへの忠誠心は最後まで揺るぎませんでした。1945年4月30日、ベルリン陥落間近の総統地下壕でヒトラーが自殺すると、遺言で一時的に首相に指名されたものの、彼はヒトラーの後を追うことを決意します。翌5月1日、妻マグダとの間にもうけた6人の子供たちに毒物を与えて殺害した後、夫妻はそろって自ら命を絶ったのです。
ハインリヒ・ヒムラーやヒトラーと並び、ゲッペルスは第三帝国において最も権力を握った人物の一人であり、その名は20世紀のプロパガンダと独裁政治の歴史に暗い刻印を残しています。

基本情報
生没年:1897年10月29日 ~ 1945年5月1日
職業:政治家(ナチス・ドイツ国民啓蒙・宣伝相)