歴史上の人物

マリー・パプ=カルパンティエ――フランス幼児教育の先駆者、女子教育の擁護者

マリー・ジョゼフィーヌ・オランド・カルパンティエ。一般にはマリー・パプ=カルパンティエ(1815年~1878年)として知られる彼女は、フランスの教育者にしてフェミニストでした。女子教育と女性の権利のための活動家であり、フランスにおける就学前教育の先駆者です。

小学校と「避難室」の誕生

マリー・パプ=カルパンティエ――フランス幼児教育の先駆者、女子教育の擁護者

マリー・パプ=カルパンティエは、1815年9月11日、サルト県の静かな町ラ・フレーシュで、父アンドレ・カルパンティエと母ジョゼフィーヌ・ローズのもとに生まれました。父親は彼女が生まれる2か月前、「百日天下」の時期に関連した反乱で亡くなっていました。裁縫師だった母親は貧しい暮らしの中で3人の子どもを育てるのに苦労し、マリーは祖母に預けられ、4歳になってようやくラ・フレーシュに戻ったのです。

彼女は学校に通いましたが、教師の厳しさや科せられる罰が原因で、学校生活を好むことはできませんでした。11歳で学校を辞め、母親の仕事を手伝うようになります。アイロン掛け職人となり、その後は手袋職人として働きました。

1833年、法律によって各自治体への小学校設置が義務づけられ、それとともに、労働者階級の2歳から6歳の子どもたちを預かるための「避難室(サル・ダズィール)」と呼ばれる施設が誕生しました。翌年、ラ・フレーシュに施設を設立する業務が母ジョゼフィーヌに委ねられ、マリーも子どもたちの世話に参加しました。そこでは祈りの時間、教育、そして手作業の時間が設けられていました。

「幼稚園」の創設へ

1834年12月20日、マリー・パプ=カルパンティエは避難室の主任に任命され、100人もの子どもたちの教育を担うことになりました。彼女はその教育に一身を捧げ、地域の家族たちからも深く信頼されました。当時、『避難室の手引き』という書物が一定の教育方法を推奨していましたが、実験と「事物による教授(ルソン・ドゥ・ショーズ)」を何よりも重視するマリーは、その方法に賛同しませんでした。1842年にはル・マンの主要な避難室の主任に任命され、5年間その職を務めています。

1845年、マリー・パプ=カルパンティエは避難室を「幼稚園(エコール・マテルネル)」と改称することを提唱しました。翌年には著書『避難室の運営に関する助言』を出版します。その後も教育関連の著作のほか、児童書や詩なども執筆しました。1848年には養成機関の所長となって教員の育成にあたり、さらに避難室の視学官にも就任しています。女子教育の活動家として、女性の権利問題についても盛んに記事を発表し、それは「正義と幸福の問題であり、社会と人類にとっての関心事である」と訴えました。

1862年、彼女の業績はソルボンヌ(パリ大学)の壁内においても認められ、自らの教授法を披露するとともに、一連の講義を行いました。

マリー・パプ=カルパンティエは1878年7月31日、ヴィリエ=ル=ベルでこの世を去りました。現在でも、彼女の名を冠した学校が数多く存在しています。