歴史上の人物

硫黄島の戦いのブロンズスター勲章受章者リストは存在する?調べ方と著名な兵士を解説

太平洋戦争中最激化した戦いの一つ、硫黄島の戦い(1945年2月~3月)。この戦いでは、数多くのアメリカ軍将兵が勇敢な行動を称えられ勲章を授与されました。「硫黄島の戦いでブロンズスター勲章(銅星章)を受章した人物のリストは存在するのか?」という疑問について、記録の実態と調べ方、そしてこの戦いゆかりの著名な兵士たちをご紹介します。

そもそもブロンズスター勲章とは?

ブロンズスター勲章は1944年に制定されたアメリカ軍の勲章で、戦闘地域における英雄的行為や卓越した功績、名誉ある奉仕に対して授与されます。特に戦闘での勇気を称える場合は、勲章に「戦闘功績『V』デバイス(Combat “V”)」が添えられるのが一般的です。

硫黄島の戦いには、第3・第4・第5海兵師団からなる約7万人の海兵隊員と海軍要員が投入され、36日間の戦闘で6,800名以上が戦死、2万人以上が負傷しました。この激戦の中で、前線の海兵隊員や彼らを支えた海軍の衛生兵(コーズマン)など、実に多くの者がブロンズスター勲章を受章しています。

公式の受章者リストは存在するのか

結論から言うと、硫黄島の戦いにおけるブロンズスター勲章受章者を網羅した単一の公式リストは、一般向けには公表されていません。しかし、以下のような一次資料やデータベースを使えば、個々の受章記録を確認することができます。

  • 米国国立公文書館(NARA):個人の軍務記録や部隊の表彰記録を所蔵。なお、1973年の火災で陸軍の一部記録が焼失していますが、海兵隊の記録は別途管理されています。
  • 海兵隊の人事簿(Muster Rolls):部隊ごとの人員記録に、表彰に関する情報が含まれる場合があります。
  • 師団史・部隊史:第3・第4・第5海兵師団の公式戦史には、受章者に関する記述が見られることがあります。
  • Fold3・Ancestryなどのデータベース:戦時中の記録がデジタル化されており、有料で検索できます。

注意!ネット上の「受章者リスト」には誤りが多い

ウェブサイトなどで紹介される「硫黄島のブロンズスター受章者リスト」には、事実と異なる情報が混在している点に注意が必要です。例えば、「飛行家チャールズ・リンドバーグの息子が受章した」といった説明は誤りで、実際に最初の星条旗掲揚に参加したチャールズ・W・リンドバーグ(Charles W. Lindberg)は、飛行家のリンドバーグ一家とは無関係のミネソタ出身の海兵隊員です。信頼できる情報を得るには、必ず一次資料に当たることが大切です。

硫黄島の戦いゆかりの著名な兵士たち

ジョン・バジローン(John Basilone)

ガダルカナル島の戦いでの活躍で名誉勲章を受章した伝説的な機銃手です。1945年2月19日の上陸初日、第27海兵連隊の一員として敵の機関銃陣地を突破し、弾薬を前線へ運び続けた末、迫撃砲弾によって戦死しました。この功績により、死後に海軍十字章(Navy Cross)が追贈されています。

ハーシェル・W・「ウッディ」・ウィリアムズ(Hershel W. Williams)

火炎放射器を手に日本軍のトーチカ陣地を次々と制圧した英勇な活躍により、硫黄島の戦いで名誉勲章を受章しました。2022年6月に98歳で逝去するまで、同戦役の名誉勲章受章者としては最後の生存者でした。

摺鉢山に星条旗を掲げた兵士たち

1945年2月23日、カメラマンのジョー・ローゼンタールが撮影した「硫黄島の星条旗」の一枚は、世界で最も有名な戦争写真とされます。写真に写る6人のうち、マイケル・ストランク、ハーロン・ブロック、フランクリン・スーズリーの3名はその後の戦闘で戦死しました。一方、アイラ・ヘイズ、ルネ・ガニョン、そして後年の調査で新たに特定されたハロルド・シュルツは、戦争を生き延びて帰還しています。

ジャック・H・ルーカス(Jack H. Lucas)

17歳で硫黄島に上陸し、味方を守るため身を挺して二つの手榴弾を覆い隠した勇敢さにより名誉勲章を受章。第二次世界大戦における最年少の名誉勲章受章者となりました。

まとめ

硫黄島の戦いにおけるブロンズスター勲章受章者の完全なリストは、単一の形では公開されていません。しかし、米国国立公文書館の記録や海兵隊の人事簿、師団史などを丁寧にたどれば、個々の受章事績を確認できます。ネット上の情報には誤りも少なくないため、一次資料の確認を心がけましょう。硫黄島の戦いは、バジローンやウィリアムズ、星条旗を掲げた若き兵士たちに象徴されるように、多くの犠牲と勇気が刻まれた歴史なのです。