オードレ・ジェラルディン・ロード(Audre Geraldine Lorde、1934年〜1992年)は、アメリカの作家・詩人であり、人種差別・性差別・同性愛嫌悪(ホモフォビア)に対して生涯をかけて闘い続けた活動家でもありました。複数の差別が重なり合う現実を先駆的に提起した彼女の言葉は、今日のインターセクショナリティ論の礎の一つとされています。
「オードリー」から「オードレ」へ――ハーレムに生まれて
オードレは1934年2月18日、ニューヨークのハーレムに生まれました。父フレデリック・バイロン・ロードと母リンダ・ガートルード・ベルマー・ロードの間の3人姉妹の末っ子です。彼女は生まれつき視力が非常に弱く、ほぼ失明に近い状態でした。カリブ海出身の母親が語る物語に囲まれて育ち、4歳頃にはすでに話すことも、読み書きすることもできるようになっていました。
幼い頃、彼女は自らの名前から「Y」を取り除き、「オードリー(Audrey)」を「オードレ(Audre)」と改めます。名前と姓の響きの調和を好んだこと、そして自分のアイデンティティを自分の手で引き受けるという意志の表れでした。13歳頃には最初の詩を書いています。しかし、ハンター大学付属高校を卒業した頃に親友ジーンヴィーブ・トンプソンを亡くし、この喪失は彼女の心に長く深い傷として残りました。
自立への道――司書として、詩人として
実家を出た後のオードレは、工場作業員やソーシャルワーカーなど様々な仕事で生計を立てながら、大学での学業を続けました。この時期にレズビアンとして、また詩人としての自分を確立していったことは、彼女の人生における決定的な転機となりました。ニューヨークに戻ってからも司書として働きながら執筆と学びを続け、1961年には図書館学の修士号を取得しています。
1962年、弁護士のエドウィン・ロリンズと結婚し、エリザベスとジョナサンの二人の子どもに恵まれますが、夫婦は1970年に離婚しました。1966年にはニューヨークのタウン・スクール図書館の館長に就任。さらに2年後、ミシシッピ州トゥーガルー大学に1年間の在外研究のため赴いた際、哲学教授フランセス・クレイトンと出会います。クレイトンは1989年までオードレのパートナーであり続けました。
詩人としての歩み
オードレ・ロードの詩が世に出始めたのは1960年代のことです。1962年にはラングストン・ヒューズ編の詩選集『ニュー・ニグロ・ポエッツUSA(New Negro Poets, USA)』に作品が収録され、その後も海外のアンソロジーや黒人文学誌に次々と作品を発表していきました。1968年には処女詩集『ザ・ファースト・シティーズ(The First Cities)』がポエッツ・プレス社から出版されます。
2年後に刊行された2作目の詩集『ケーブルズ・トゥ・レイジ(Cables to Rage)』では愛や母性といったテーマが扱われ、詩「マーサ」において自身の同性愛を公に打ち明けました。その後も『コール(Coal、1976年)』『ブラック・ユニコーン(The Black Unicorn、1978年)』などの詩集のほか、評論集『シスター・アウトサイダー(Sister Outsider、1984年)』、自伝的小説『ザミ(Zami、1982年)』、乳がん体験を綴った『がんの日記(The Cancer Journals、1980年)』など、幅広い著作を残しています。1991年にはニューヨーク州の桂冠詩人に任命されました。
インターセクショナリティ――重なり合う差別への問い
オードレ・ロードは、人種差別・性差別・同性愛嫌悪に対する積極的な活動家でした。当時のフェミニズムが白人中産階級の女性たちの現実に偏りすぎていたことに批判的だった彼女は、「女性」というひとつのカテゴリーの団結は幻想にすぎないと訴えます。黒人女性でありレズビアンであるという自身の経験から、複数の差別が重なり合う現実を認めるよう社会に求め、この考え方は今日「インターセクショナリティ(交差性)」という概念として知られています。
彼女の生涯を描いたドキュメンタリー映画『A Litany for Survival:The Life and Work of Audre Lorde(1995年)』の中で、ロードはこう語っています。
「まず最初に、60年代に黒人女性詩人であったことがどういうことだったのかをお話ししましょう。それは、見えない存在であるということでした。本当に見えない存在であるということです。黒人フェミニストの女性としては二重に見えず、黒人レズビアンのフェミニストとしては三重に見えない存在だったのです。」
病との闘い、そして遺されたもの
1978年、オードレは乳がんと診断され、乳房切除手術を受けます。その後、肝臓がんとも診断されました。彼女は執筆活動にますます力を注ぎ、病の体験を文章に綴るとともに、ドキュメンタリーの中でも率直に語りました。14年にわたる病との闘いの末、1992年11月17日、オードレ・ロードは58歳でこの世を去りました。
差別の構造を見抜き、沈黙を拒否し続けた彼女の言葉――「あなたの沈黙は、あなたを守ってはくれない」――は、今なお世界中の人々を勇気づけています。