
ラザール・ニコラ・カルノー(Lazare Nicolas Marguerite Carnot、1753年-1823年)は、フランス革命からナポレオン時代にかけて活躍した軍人・政治家であり、同時に優れた数学者でもありました。1789年の革命勃発時には大尉の階級にありましたが、まもなく立法議会に選出され、軍事委員会において重要な役割を果たすことになります。
「勝利の組織者」の異名
公安委員会のメンバーとして、カルノーは共和国軍の創設と再編を主導しました。敵軍が国境に迫る危機的状況の中で、攻撃的な戦術を積極的に採用して国土防衛に成功し、「勝利の組織者(Organisateur de la victoire)」という称号で広く称えられるようになりました。北部方面やピレネー方面への任務にも自ら赴き、前線の実情を把握しながら軍の立て直しに尽力した点も特筆されます。
テルミドールから総裁政府へ
1794年のロベスピエール失脚(テルミドールのクーデター)にはその一翼を担い、その後は長老院の議員を経て、総裁政府の総裁の一人となりました。在任中は主として軍事問題を担当し、共和国の防衛体制の維持に力を注ぎました。しかし1797年のフリュクティドール18日のクーデター後には政争に巻き込まれて失脚し、スイスへ亡命しています。
帝政期と王政復古の晩年
ナポレオンの帝政期には、カルノーは表立った政治活動からあえて距離を置いていました。ところが1815年の王政復古後、かつて国王ルイ16世の処刑に賛成票を投じていたことが問われ、「王殺し(レジサイド)」として追放される憂き目に遭います。亡命先のプロイセン領マクデブルクで晩年を過ごし、1823年にその生涯を閉じました。
数学者としての功績
軍人・政治家としての顔とは別に、カルノーは近代幾何学の創始者の一人としても知られています。『位置の幾何学について』などの著作を通じて幾何学の基礎理論に新たな道を開き、その学術的業績は今日まで高く評価されています。なお、息子のサディ・カルノーは熱力学の分野で名を残しており、カルノー家は科学史における著名な家系となりました。