歴史上の人物

59. 無私の奉仕が「鉄のサルダール」を「黄金のサルダール」へ変えた

59. 無私の奉仕が「鉄のサルダール」を「黄金のサルダール」へ変えた

サルダール・パテール(ヴァッラブバーイー・パテール)。後にインド初代副首相・内務大臣となり、「インドの鉄の男」と呼ばれることになるこの人物は、独立運動の時代、獄中から釈放されて間もないある日、故郷グジャラートのボルサド地区で恐ろしい知らせを耳にする。27の村々にペストが発生したのだ。

親族さえ逃げ出した恐怖の疫病

この地域はかつて同じ疫病に見舞われたことがあったが、今回の脅威は格段に強かった。「ペスト」という言葉を聞くだけで、親族までもが病人を置き去りにして逃げ出す有様だった。

パテールは、当時インドを支配していたイギリス植民地政権(現地の人々は「外来者の政権」と呼んだ)が、以前と同じように無関心な態度を取るだろうと予期していた。そこで彼は、村から村へと巡って人々に奉仕し、亡くなった人を火葬し、村民にペストの予防法と対処法を伝えるためのボランティアチームを組織したのである。

命を懸けた救護活動

サルダールはボルサドに病院を設立し、ペストの治療に当たらせた。彼自身もまた、村から村へと渡り歩いて病人の世話をし、救援活動の先頭に立って指揮を執った。

一方、政府職員はペストを恐れて村に足を踏み入れようともしなかった。命を懸けて人々を救っていたのは、このボランティアたちだけだったのである。

政府の妨害と真実の究明

サルダールのボランティアたちが村々を巡回し始めると、政権側は非難の声を上げ始めた。政府は声明を発表し、こう主張した。「一部の人々が私的にペスト対策を行おうとしているが、これは決して適切ではない。この仕事には熟練した医師が必要であり、政府の保健部門だけが担いうるものだ。未熟な知識で行うのは危険である」と。

これに対してヴァッラブバーイーは、新聞紙上で堂々と反論した。「政府はまず、これまで何をしてきたのかを明らかにすべきだ」。同時にサルダールは、ボランティアたちの活動内容の詳細をも公表した。

すると市民たちは独立の調査委員会を立ち上げた。委員会は村々を訪れて実態を調べ、そして結論を下した。この疫病が蔓延したのは、何の対策も講じなかった政府の過失によるものである、と。

政府部門は予防のために何ひとつせず、人々は次々と命を落としていった。もしサルダール・パテールと彼のボランティアたちが、あの時機を見て先頭に立っていなければ、事態がどうなっていたかは想像もできない。ボランティアたちの献身的な奉仕によって、疫病はようやく根絶された。

「鉄のサルダール」から「黄金のサルダール」へ

調査報告が新聞に掲載されると、もともと悪評に悩まされていた政権はさらなる打撃を受けた。そして、この無私の奉仕によって、サルダール・パテールは純金のごとく輝きを放つ存在となった。「鉄のサルダール」は、今や「黄金のサルダール」へと生まれ変わったのである。

この出来事から79年の歳月が流れた今日でも、疑う余地なくこう言えるだろう。もしパテールと彼のボランティアたちが命懸けでペストと戦わなかったならば、数千の家庭の灯りは永遠に消えていたはずだと。