
1917年、アーメダバードを襲ったペストの大流行
1917年、グジャラート州の都市アーメダバードでペストが猛威を振るいました。不衛生な貧民街だけでなく、当時は清潔で安全だと考えられていた高級住宅街においてさえ死者が出るほどの深刻な事態でした。
この状況を目の当たりにしたヴァッラブバーイー・パテル(後の「サルダール・パテル」)は、人々がペストに対する正しい知識と対処法を持っていないことこそが被害を拡大させているのだと直感しました。
委員会を結成し、命がけで奉仕活動へ
そこでパテルは志を同じくする数人の仲間を率いて対策委員会を結成し、疫病の封じ込めと撲滅に向けた活動を本格的に開始しました。
当時のペストは死亡率が非常に高く、患者に直接触れる活動には命の危険が常に伴いました。それでもパテルと仲間たちは自らの身の危険を顧みず、感染した患者たちの治療と看護に献身的に取り組みました。こうした人々への奉仕は、彼の魂に深い満足感をもたらすものとなりました。
社会奉仕の原点となった体験
このときの経験は、ヴァッラブバーイーが人生で初めて「社会奉仕から生まれる喜びと充実感」を実感した瞬間でした。後にインド独立運動の指導者として名を馳せ、初代副首相兼内務大臣として活躍することになる彼にとって、この活動は公共のために尽くす生き方の出発点となりました。
しかしその一方で、過酷な患者ケアの最中に、パテル自身もペストに感染してしまいました。彼は直ちに家族を安全な場所へ避難させると、自分ひとりで街外れの荒れ果てた寺院に移り住み、誰にも迷惑をかけないよう静養しながら、少しずつ体力を取り戻していきました。
危機の中で他者のために尽くし、自らも病に倒れながら立ち上がったこの経験は、パテルの人格形成における重要な一章として語り継がれています。