歴史上の人物

108. パテル、少数民族委員会の設置決定に断固反対!

108. パテル、少数民族委員会の設置決定に断固反対!

1949年、東パキスタンから80万人超の難民が流入

1949年、東パキスタンから西ベンガル、アッサム、トリプラの各州へ、80万人(8ラック)を超える難民が流入しました。彼らはパキスタン当局によってインド領内へと強制的に追い出された人々であり、その多くは暴力や迫害の犠牲となったヒンドゥー教徒の市民でした。

ネルーとパテル、対応をめぐって対立

この難民問題に平和的な解決を見いだそうと、ネルー首相はパキスタンのリアカット・アリー・ハーン首相をインドに招きました。しかし、ネルーの対応ぶりに不満を抱いたサルダール・パテルは、自らリアカット・アリー・ハーンと会見し、「こうした軽率な行為を直ちにやめるべきだ」という趣旨の厳しいメッセージを突きつけました。

少数民族委員会設置案への猛反発

これを受けてネルーは、インドとパキスタンの双方が少数民族委員会を設置すべきだと提案しました。ところがパテルは、この提案を強く批判し、断固として反対の姿勢を示しました。

さらに、ネルーの宥和政策に憤慨したシャマー・プラサード・ムカルジーとK・C・ネギの両閣僚は、ついに閣内からの辞任という事態に至りました。国家の分裂後も続く難民問題と、指導者たちの路線対立を象徴する出来事となりました。