歴史上の人物

クリスティナ・ロキチャナ――ポーランド王カジミェシュ3世と貴賤結婚したプラハの市民女性

クリスティナ・ロキチャナ――ポーランド王カジミェシュ3世と貴賤結婚したプラハの市民女性

ロキチャナが生きた時代に流行した宮廷ドレス。

クリスティナ・ロキチャナ(1330年以前~1365年以降)

クリスティナ・ロキチャナは、ポーランド王カジミェシュ3世(大王)と貴賤結婚(モルガナート婚)を結んだチェコ出身の市民階級の女性です。彼女がポーランド王と出会う以前の経歴についてはほとんど何も分かっておらず、正確な生年も不明です。史料に初めて登場するのは1343年、ニコラウス(ミコワイ)の妻としてでした。

最初の夫ニコラウスは、ロキチャニの有力な市民メンハルトの息子であり、「ロキチャナ」というクリスティナの通称はこの地名に由来します。ニコラウスは着実に出世の階段を上り、1336年にはボヘミア王ヨハン・フォン・ルクセンブルクに金銭を貸し付けるほどの立場になっていました。

おそらく1346年に夫と死別したクリスティナは、夫の財産とともにプラハ宮廷における影響力の一部をも相続し、皇帝カール4世の信頼を勝ち取りました。1356年、カジミェシュ3世がチェコの首都プラハを訪れると、当地の支配者カール4世は、クリスティナを自らの工作員として利用することを思いつきます。

裕福で機転が利き、丁寧な教育を受けたクリスティナは、その知性、洗練された物腰、そして美貌によってたちまちポーランド王を魅了しました。史料によれば、カジミェシュに恋をした若き未亡人は、王が正式に自分と結婚しない限り愛を受け入れないと主張したといいます。こうして婚礼はクラクフで執り行われ、式はティニェツ修道院長によって挙げられました。

皇帝カール4世の工作員として

ポーランド滞在中、ロキチャナはカール4世の活発な工作員として活動していました。現存する書簡の中で彼女は、(戴冠こそされなかったものの)ポーランド王妃として、夫が皇帝の利益に反する行動を取らないよう影響を与えると宣言しています。

しかし、クリスティナとポーランド王との貴賤結婚には法的な問題がありました。カジミェシュの2番目の妻アデライダ・ヘスカ(ヘッセンのアーデルハイト)がまだ存命だったのです。王はこの婚姻の無効化を試みており、皇帝カール4世の支援があればそれが実現すると期待していました。

年代記作者ヤン・ドゥウゴシュはその年代記の中で、王は婚礼直後にクリスティナを追い出したと記しています。一目見ただけで彼女が禿げ頭で疥癬を患っていることに気づいたためだというのですが、この情報は信頼できるものとはみなされていません。

ロキチャナは、1365年にカジミェシュがヤドヴィガ・ジャガンスカ(ザーガンのヤドヴィガ)と再婚した際にも、まだポーランドに留まっていた可能性があります。クリスティナの正確な没年月日は不明のままです。