歴史上の人物

ジョン・F・ケネディ(1917年〜1963年):史上最年少で選出された米国大統領の生涯

ジョン・F・ケネディ(1917年〜1963年):史上最年少で選出された米国大統領の生涯

ジョン・F・ケネディ(写真:パブリックドメイン)

アイルランド系の名門家庭に生まれる

ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(1917年〜1963年)は、「JFK」の愛称で親しまれたアメリカ合衆国第35代大統領です。1917年、アイルランド系移民の血を引く裕福な家庭の次男として、マサチューセッツ州ブルックラインに生まれました。兄弟姉妹は9人きょうだいの中で育ち、後に政治家となるロバートやエドワードもその中にいました。

ケネディは名門私立校で教育を受けた後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに短期間在籍し、その後ハーバード大学へ進学。1940年に同大学を卒業しました。

海軍での従軍と政治への道

1941年に海軍に入隊すると、第二次世界大戦の太平洋戦線で魚雷艇(PTボート)の指揮官として従軍しました。乗艦が敵の駆逐艦に撃沈されるという危機に見舞われながらも部下を率いて生還し、英雄的な活躍で高く評価されています。1943年に帰国し、2年後の1945年に除隊しました。

1946年、29歳の若さで連邦下院議員に当選し、政治家としてのキャリアをスタート。1952年にはマサチューセッツ州選出の上院議員に初当選を果たします。そして1960年の大統領選挙に出馬し、リチャード・ニクソンとの激しい接戦を制して勝利。43歳で史上最年少の民選大統領となり、カトリック教徒としても初めてホワイトハウスに入りました。

大統領としての功績と試練

就任から約2年後の1963年には、人種差別撤廃を掲げる公民権法案を議会に提出するなど、公民権問題への取り組みを本格化させました。

一方、在任中にはキューバ侵攻作戦「ピッグス湾事件」(1961年)が失敗に終わっています。また、イスラエルにミサイルを売却し同国兵士の訓練を行ったことから、中東の勢力均衡を乱したとして批判を受けました。

1962年のキューバ危機では、キューバへの侵攻と核兵器の使用に断固反対し、ソ連のニキータ・フルシチョフとの神経戦を制して核戦争の危機を回避しました。この危機を経て米ソ間にはホットラインが設置され、翌1963年の部分的核実験禁止条約の締結にもつながっています。

ダラスでの悲劇的な最期

1964年の再選を目指し、ケネディは全米遊説キャンペーンを開始しました。しかし1963年11月22日、テキサス州ダラスを訪問中に狙撃され、46歳の若さで命を落としたのです。彼の突然の死はアメリカ国民のみならず世界中に深い衝撃を与え、暗殺の真相については今日までさまざまな議論が続いています。