父と共に写るヤドヴィガ・ピウスツカ(写真:パブリックドメイン)
ヤドヴィガ・ヤゴダ・ピウスツカ=ヤラチェフスカ(Jadwiga Jagoda Piłsudska-Jaraczewska、1920年-2014年)は、ポーランドの女性パイロットであり、ポーランド建国の父と称されるユゼフ・ピウスツキ元帥の次女です。
生い立ちと家族
ヤドヴィガは1920年2月28日、ワルシャワにおいて、ユゼフ・ピウスツキ元帥とアレクサンドラ・シュチェルビンスカの間に生まれた非嫡出の次女でした。代父(名付け親)は、後に首相を務めることになるヴァレリ・スワヴェクです。
1921年にピウスツキの最初の妻が亡くなると、彼は娘たちの母親との関係を正式に認めました。一家はまずベルヴェデル宮殿に移り、その後、軍の資金援助によって建てられたスレヨヴェクの別荘へと移り住みます。ヤドヴィガはこの地で青春時代を過ごしました。
学業と飛行への目覚め
ヤドヴィガは姉とともに、ポゼルト家出身のヴァンダ・シャフトマイエロワが校長を務める女子ギムナジウムに通い、1939年に大学入学資格試験(アビトゥーア)に合格しました。
1935年に父が亡くなると、ピウスツキの娘たちの保護を目的として設置された家族評議会は、姉妹のためにポーランド東部に農場を購入することを決めました。そして1937年、ヤドヴィガはグライダー飛行との運命的な出会いを果たします。これが彼女の飛行家としての人生の始まりとなりました。
戦時下の避難とイギリスでの新たな道
1939年に第二次世界大戦が勃発すると、ヤドヴィガは母や姉とともにリトアニア、スウェーデンを経由してロンドンへ避難しました。イギリスでは建築学を学びながら、新たな夢へと挑戦します。
彼女はイギリス空軍(RAF)の補助組織である航空輸送補助隊(Air Transport Auxiliary、ATA)への入隊を目指し、1942年についに軍務への採用が認められました。
ATAでの任務と戦後の人生
ATAの主な任務は航空機の輸送でした。扱う機体はしばしば劣悪な状態にあり、修理工場へ向かうため、あるいは解体場へ運ぶためだけに「一回限りの飛行」が許可されたような航空機も少なくありませんでした。それにもかかわらず、ピウスツカはパイロットとして在籍期間中、一度も事故を起こすことはありませんでした。
1944年、彼女はポーランド人将校のアンジェイ・ヤラチェフスキ大尉と結婚します。戦後もポーランドには帰らず亡命生活を続け、ロンドンのユゼフ・ピウスツキ研究所の活動に深く携わりました。
1990年、冷戦終結の波の中でヤドヴィガはついに故郷ポーランドへ永住帰国を果たします。そして2014年、94歳の生涯をワルシャワで閉じました。父の遺産を守り、自らも空へ生きた彼女の人生は、激動の20世紀ポーランドの歴史を映す存在といえるでしょう。