歴史上の人物

エティエンヌ・ジャック・ジョゼフ・アレクサンドル・マクドナルド(1765-1840)――ナポレオン麾下の元帥

エティエンヌ・ジャック・ジョゼフ・アレクサンドル・マクドナルド(1765-1840)――ナポレオン麾下の元帥

エティエンヌ・ジャック・ジョゼフ・アレクサンドル・マクドナルド(Étienne Jacques Joseph Alexandre Macdonald、1765年-1840年)は、フランス革命戦争からナポレオン戦争、さらには王政復古期までを生き抜いたフランスの軍人です。スコットランド系ジャコバイト亡命者の息子として生まれ、やがてタラント公爵に叙せられ、ナポレオン麾下の元帥の一人となりました。その軍歴は、栄光と失脚、そして見事な復活を繰り返す波乱に満ちたものでした。

デュムーリエの副官としての出発

マクドナルドのキャリアは、革命戦争初期に将軍シャルル=フランソワ・デュムーリエの第一副官を務めたことから始まります。当時の彼は、有能な若手士官として着実に頭角を現していきました。

モローへの忠誠と失脚

その後、彼はジャン=ヴィクトール・モローの指揮下へと移り、各地の戦線で戦功を重ねます。ところが、王党派がモローに対して提起した告発の際、マクドナルドはあえて旧友を弁護する立場を選びました。この行動が皇帝ナポレオンの心証を損ねることとなり、彼は長く冷遇され、不遇の時代を過ごすことになります。

ロシア遠征と苦難の撤退

1812年のロシア遠征では、第10軍団を率いてリガ方面の左翼を掩護する任務を担いました。大陸軍全体が壊滅的な打撃を受けた「大退却」の間も、彼の部隊は比較的秩序を保ったまま後退を続けたことで知られています。

ワグラムとライプツィヒでの武名

それでも彼の才能は色褪せることはありませんでした。1809年のワグラムの戦いでは中央での果敢な突撃を指揮して戦局に大きく貢献し、この戦功により元帥杖を授けられます。続く1813年のライプツィヒの戦い(諸国民の戦い)では、敗勢の中で連合軍の包囲を逃れるため、エルスター川を泳いで渡るという離れ業で危機を切り抜けました。

祖国防衛と王政復古

1814年のフランス侵攻作戦においては、圧倒的な連合軍の進撃を少しでも遅らせるべく、徹底した遅延戦術に尽力しました。ナポレオンの最初の退位後、ルイ18世は彼をフランス貴族院議員(ペール・ド・フランス)に叙し、名誉勲章総長にも任命しています。1815年、ナポレオンがエルバ島から帰還すると、マクドナルドはルイ18世を国境まで護衛し、その国外脱出を助けました。

フォンテーヌブローの交渉と晩年

一方、1814年4月のフォンテーヌブローでは、ナポレオン自身の強い信任を受けて、ロシア皇帝アレクサンドル1世との交渉役を務めています。別れの場面でナポレオンは、かつてエジプト遠征で身につけていた愛用の剣をマクドナルドに贈りました。これは彼への信頼の証でした。

王政復古期には国務大臣に就任し、1840年に死去するまで名誉勲章総長の職を務め上げました。パリのペール・ラシェーズ墓地に眠っています。