
ポール・フランソワ・ジャン・ニコラ・ド・バラス子爵(1755年〜1829年)は、フランス革命から総裁政府の時代にかけて、フランス政界の中枢に君臨した政治家である。貴族出身でありながら激動の革命を巧みに生き抜き、後に皇帝となるナポレオン・ボナパルトを世に送り出した人物としても知られている。
革命初期の歩み
バラスは南仏プロヴァンス出身の下級貴族の家に生まれ、青年期に陸軍へ入隊したものの、軍人としてのキャリアはごく短いもので終わった。革命勃発当初は政治の表舞台に立つことは少なかったが、やがて国民公会の議員となり、かつての軍歴を買われて各地へ派遣される特派員(代表オン・ミッション)として頭角を現すようになった。
トゥーロン解放とボナパルトとの出会い
1793年、イギリス・スペイン連合艦隊の手に落ちた南仏の要衝トゥーロンを奪還すべく、バラスは公会の特派員として現地に赴いた。この包囲戦で異彩を放ったのが、若き砲兵士官ナポレオン・ボナパルトである。バラスはその軍事的才能を見抜いて重用し、トゥーロン奪還後には彼を准将へと昇進させた。この縁が、のちの二人の運命を大きく左右することになる。
任務を終えたバラスは、公安委員会によってパリへ召還された。
テルミドールのクーデターと反動期
帰京後のバラスは、ロベスピエール率いる山岳派独裁に対して反対の立場を鮮明にし、テルミドール派の指導者の一人となった。1794年7月(テルミドール9日)のクーデターによってロベスピエールが倒れると、バラスはパリ駐留軍の最高司令官に就任し、混乱の続く首都の治安維持を担った。
13ヴァンドミエールの鎮圧
王政への回帰を頑として受け入れなかったバラスは、1795年10月5日(ヴァンドミエール13日)に蜂起したパリの王党派の鎮圧を、かつて自らが見出したボナパルトに命じた。ボナパルトは「ヴァンドミエールの砲声」と称される果断な鎮圧作戦を成功させ、一躍その名を高めた。この出来事は、両者の関係を決定的なものにすると同時に、革命の行方を左右する転換点となった。
総裁政府の筆頭格として
同年末に発足した総裁政府では、バラスは五人の総裁の中でも筆頭格として君臨し、政府内で最も影響力を持つ人物の一人となった。私生活の放縦や汚職の噂に事欠かなかった一方で、その政治的手腕と柔軟な適応力によって、革命から帝政へと移りゆく過渡期のフランス政治を主導し続けた。
晩年
1799年のブリュメール18日のクーデターでボナパルトが権力を掌握すると、バラスは政界からの引退を余儀なくされた。帝政崩壊後にフランスへ戻った彼であったが、ルイ16世の死刑に賛成票を投じていなかったため、王政復古期に出された弑逆者(レジシッド)追放令の対象には含まれず、迫害を受けることなく平穏な余生を送り、1829年にパリでその生涯を閉じた。