歴史上の人物

バルナーヴ・アントワーヌ(1761–1793)──フランス革命期の雄弁な演説者

バルナーヴ・アントワーヌ(1761–1793)──フランス革命期の雄弁な演説者

フランス革命を代表する雄弁家

バルナーヴ・アントワーヌ(Antoine Barnave、1761年11月22日 - 1793年11月29日)は、グルノーブル出身の弁護士から身を起こし、フランス革命期に頭角を現した政治家です。国民憲法制定議会において、その卓越した演説能力によって一躍名声を博しました。

「三頭政治」とジャコバン派への参加

ラメット兄弟およびデュポールとともに「三頭政治(トリュムヴィラ)」と呼ばれる派閥を形成し、ミラボー伯爵や右派勢力に対抗する野党として活動しました。彼らは後にジャコバン派に加わり、1790年10月にはバルナーヴ自身が議会の議長に選出されています。

ヴァレンヌ逃亡事件という転機

しかし1791年6月、国王一家の国外脱出が失敗に終わったヴァレンヌ逃亡事件は、彼の運命を大きく変えました。逃亡先から帰還する王族の護送を担当したバルナーヴは、この際にマリー・アントワネット王妃と親しくなり、やがて深い愛情を抱くようになります。以後、彼は立憲君主制の堅定な擁護者へと転じ、王妃とも秘密裏に文通を続けました。

失脚と処刑

ところが、革命が急進化するにつれ、穏健路線を掲げる彼の人気はロベスピエールやペティオン・ド・ヴィルヌーヴらによって急速に失われていきました。1792年の立法議会では、宮廷との密接な関係を理由に逮捕されます。その後、恐怖政治(テロル)の時代に裁判にかけられ、1793年11月29日、32歳の若さでギロチンの露と消えたのです。