ジャン=バティスト・ベシエールとは

ジャン=バティスト・ベシエール(Jean-Baptiste Bessières、1768年〜1813年)は、フランス革命戦争からナポレオン戦争にかけて活躍したフランス軍の将軍であり、後に帝国元帥に列せられた人物です。卓越した騎兵指揮官として知られ、その武勇は帝政期を通じて数多くの公式戦功として表彰されました。
ナポレオンとの絆
ベシエールは1798年のエジプト遠征でボナパルト(後のナポレオン1世)に同行し、以来、皇帝の最も信頼する部将の一人となりました。とりわけ名高いのは1799年のブリュメール18日のクーデターです。この政変の際、ベシエールはボナパルトの身辺を守護し、権力掌握を成功へと導く重要な役割を果たしました。以降、彼は近衛隊の中核的存在として、皇帝個人への忠誠心において並ぶ者がいない存在となります。
マレンゴからアウステルリッツ、アイラウへ
1800年のマレンゴの戦いでは、勝敗を分けた決定的な反撃の先頭に立って突撃を行い、その武勇を示しました。1805年のアウステルリッツの戦い、そして1807年のアイラウの戦いでは帝国騎兵の指揮を執り、両戦役において戦局を左右する決定的な貢献を果たしました。特にアイラウにおける彼の騎兵運用は、劣勢にあったフランス軍を崩壊から救ったと評価されています。1804年には帝国元帥に任じられ、「イストリア公」の称号も授けられています。
ザクセン戦役での最期
しかし、その栄光ある軍歴も悲劇的な形で閉じることとなります。1813年のザクセン戦役中、ベシエールはリッペンの戦い(ライプツィヒの戦い前哨戦)で偵察任務に従事していた際、砲弾の一撃を受けて戦死しました。皇帝ナポレオンは、有能かつ忠実な部将の喪失に深い悲しみを表明したと伝えられています。
ベシエールの死は、単なる一人の将軍の戦死にとどまらず、ナポレオン軍団が失った貴重な人材として、後の歴史家たちによってしばしば言及される出来事となりました。