歴史上の人物

クローヴィス4世(680年頃〜695年):宮宰ピピン2世の影に隠れたメロヴィング朝の王

クローヴィス4世(680年頃〜695年)とは

クローヴィス4世(Clovis IV、680年頃〜695年)は、メロヴィング朝期のブルグント王国およびネウストリア王国の王です。父はテウデリク3世(ティエリー3世)であり、彼自身もまた、この時代のメロヴィング朝君主に共通する「名ばかりの王」としての歴史をたどりました。

691年の即位と幼少期

691年、父テウデリク3世の死去に伴い、クローヴィス4世はブルグントとネウストリアの王位を継承しました。しかし、即位した当時の彼はまだ幼く、自ら国政を執り行う能力も環境も備えていませんでした。

実権を握った宮宰ピピン2世

クローヴィス4世の治世において、政治の実権はすべて宮宰(マイヨール・ドゥ・パレ)であるエルスタルのピピン2世(ピピン・ド・エルスタル)が掌握していました。宮宰とは、メロヴィング朝において王に次ぐ権力を持った最高官職であり、当時のピピン2世はフランク王国全体で最も強大な影響力を誇る人物でした。

そのため、クローヴィス4世自身は政治的な役割をほとんど果たすことができず、後世「怠惰王(ロワ・ファネアン)」と呼ばれる傀儡君主の一人に数えられることとなりました。これは彼個人の無能さによるものではなく、メロヴィング朝末期に王権が衰退し、カロリング家の祖となるピピン一族が実権を築き上げていく過渡期の象徴的な姿といえます。

早逝とその後の継承

クローヴィス4世は695年に早逝しました。享年は15歳前後と考えられています。彼の死後、弟のキルデベルト3世が王位を継ぎましたが、実権は引き続きピピン2世の手に留まり、メロヴィング朝の王権が形骸化していく流れは変わることがありませんでした。