歴史上の人物

エティエンヌ・マルセル(1315年 - 1358年)――中世パリ最初の「革命」を導いた商人頭の生涯

エティエンヌ・マルセル(1315年 - 1358年)――中世パリ最初の「革命」を導いた商人頭の生涯

エティエンヌ・マルセル(Étienne Marcel、1315年頃 - 1358年)は、パリの商人頭(プロヴォスト・デ・マルシャン)を務めたフランスの政治家です。百年戦争の混乱期、三部会(エタ・ジェネロ)を通じて王権の専横に立ち向かい、中世パリにおける最初の市民蜂起を主導した人物として、歴史に強い印象を残しています。

三部会での活躍と1357年の大勅令

マルセルは1354年にパリ商人頭に就任し、1355年と1357年に開かれた三部会において指導的な役割を果たしました。当時、国王ジャン2世(善良王)はポワティエの戦い(1356年)でイングランド軍の捕虜となり、国政は若い王太子シャルル(後のシャルル5世)に委ねられていました。戦費の調達のため三部会が招集されると、マルセルらは「補助金(税収)の管理を三部会が監督すること」「王太子の傍らに諮問顧問を置くこと」を条件として突きつけ、1357年のいわゆる「大勅令(グランド・オルドナンス)」を実現させました。これは王権に強い制限を課す画期的な改革でした。

1358年2月22日――パリ史上初の革命の日

しかし王太子は大勅令の履行を回避しようとしたため、1358年2月22日、マルセルは支持者とともに王宮になだれ込むという、パリ史上初の「革命の日」を組織しました。蜂起の際には王太子側近の重臣が殺害され、王太子はついに1357年の大勅令の再確認を余儀なくされました。

パリの支配と王太子の包囲

パリを掌握したマルセルは、運動を諸都市や地方へと広げようと努めました。しかし、脱出に成功した王太子はパリへの包囲網を徐々に強めていきます。さらに同年に勃発した農民反乱(ジャックリーの乱)への関与が疑われたことで、富裕層市民の支持も次第に離れていきました。

悪人王との同盟と最期

追い詰められたマルセルは、ナバラ王シャルル2世(悪人王)と同盟を結びました。しかし1358年7月31日の深夜、悪人王の軍勢をパリに引き入れようとしたところを、王太子派の市参事会員(エシュヴァン)ジャン・マイヤールに待ち伏せされ、その場で処刑されてしまいました。指導者を失ったパリの改革運動はここに終焉を迎え、フランス王権は再び力を取り戻すこととなります。