
ジャック・クレマンとは何者か
ジャック・クレマン(Jacques Clément、1567年頃〜1589年)は、フランスのドミニコ会修道士です。熱烈なカトリック信者であり、ユグノー戦争(宗教戦争)のさなか、カトリック同盟(リーグ)の側に与して活動していました。
当時の国王アンリ3世は、ギーズ公アンリ1世を暗殺させたことにより教皇から破門されていました。クレマンは、この「裏切り者の王」の暗殺を決意するに至ります。
サン=クルーでの暗殺
1589年8月1日、クレマンはアンリ3世の軍営が置かれていたサン=クルーでの面会を実現させます。重要な密書を届けたいと申し出て王のそばへ近づくと、突如として短剣を取り出し、王の腹部に突き刺しました。アンリ3世は「悪僧め、私を殺したな!」と叫んだといいます。
騒ぎを聞きつけた王直属の親衛隊「四十五人衆(Les Quarante-Cinq)」がただちに駆けつけ、その場で修道士を剣で刺し殺しました。しかしアンリ3世自身も傷がもとで、翌日の夜に息を引き取ります。
死後の刑罰と世間の反響
クレマンの遺体には、王殺し(レジサイド)に対する死後の刑罰が科されました。四肢を四つ裂きにされたうえで、焼却されたのです。
ところが一方で、この暗殺の知らせはパリにおいて熱狂的に歓迎されました。教皇シクストゥス5世までもがこれを称賛し、クレマンの列聖まで検討していたと伝えられています。
ジャック・クレマンによるこの一撃は、フランス史上初となる「自発的な」弑逆(王殺し)として歴史に記録されています。