フランソワ・アタナーゼ・ド・シャレット(1763–1796)

海軍士官から王党派の闘士へ
シャレットはフランス海軍の士官としてキャリアをスタートさせました。1792年8月10日、彼はテュイルリー宮殿の防衛に参加し、王党派としての信念を貫きます。
しかし国王が失脚すると、情勢は一変しました。シャレットは故郷ヴァンデ地方のマシュクールにおいて反乱軍に身を投じます。他のヴァンデ指導者たちとは意見が対立し、やがて彼らと距離を置いて独自の道を歩むことになりました。
「沼沢地軍」を率いた独立不羈の名将
シャレットが率いたのは、「アルメ・デュ・マレ(沼沢地軍)」と呼ばれる部隊でした。彼はその強烈な独立心と個性で際立ち、ヴァンデ戦争きっての個性的な指導者として名を馳せます。
ボンシャンやデルベら著名な指導者たちと共にトルフーの戦いにも参加し、共和派軍を苦しめる戦功を挙げました。1794年には、ヴァンデ地方で最も影響力を持つ指導者の一人となっています。
和平への試みと最期
1795年、シャレットは共和政府との間で「ラ・ジョネ条約」に調印し、一時的に和平を実現させます。しかし、イギリス軍による上陸作戦が頓挫すると、彼は再び武器を取りました。この頃、亡命中のルイ18世は彼をカトリック王党派軍の将軍に任命しています。
だが、運命は彼に味方しませんでした。オッシュ将軍率いる共和国軍に捕らえられたシャレットは、1796年3月末、銃殺刑に処されてその波乱に満ちた生涯を閉じたのです。