
ジャンヌ・ドゥ・フランス(Jeanne de France、1464年〜1505年)は、フランス王ルイ11世と王妃シャルロット・ド・サヴォワの娘として生まれました。生まれつき身体に障害を抱えていたと伝えられています。
政略結婚の犠牲者として
父ルイ11世は、オルレアン家の勢力を抑えるため、ジャンヌを同家との婚姻に結び付けようと考えました。障害を持つジャンヌとの結婚では子孫が望めず、結果的にオルレアン家の血統が弱まるだろうという計算があったといわれています。こうしてジャンヌは、後のフランス王ルイ12世となるオルレアン公ルイと結婚することになりました。
しかし夫からの愛情は得られず、ジャンヌは冷遇される妻となりました。それでも彼女は、夫に対して献身的な優しさを持ち続けたと伝えられています。
婚姻の無効とベリー女公の称号
1498年、ルイ12世が即位すると、彼はただちにこの結婚の無効化に動きました。その理由は「婚姻が完成されていない」ことにありました。こうしてジャンヌは王妃の座を失うことになります。
その見返りとして、ジャンヌには「ベリー女公(Duchesse de Berry)」の称号が与えられました。
受胎告知修道会の創設
世俗の権威から離れたジャンヌは、ブルジュにおいて「受胎告知修道会(アノンシアード会)」という女子修道会を創設しました。聖母マリアへの信心を中心としたこの修道会は、彼女の深い信仰心を今に伝えています。
死後445年での列聖
ジャンヌは1505年にこの世を去りましたが、その信仰と徳は後世まで記憶され続けました。そして没後445年を経た1950年、教皇ピウス12世によって列聖され、正式に聖人となったのです。