ジャンヌ・ダルクは、1412年にフランス北東部のドンレミ村で質素な農家の娘として生まれました。姓はダルク(Darc)。後に語られることの多い「羊飼いの少女」というイメージとは異なり、彼女が実際に羊飼いだったという記録はありません。
神の声とシャルル7世との出会い
1425年頃、10代半ばのジャンヌは大天使聖ミカエル(サン・ミシェル)の「声」を聞くようになったといいます。その声は、イングランド軍に圧迫されていたフランス王国を救うため、国王シャルル7世のもとへ赴いて力を貸すよう命じるものでした。
1429年2月、ジャンヌはヴォークルールの城主ロベール・ド・ボードリクールを説得し、小規模な護衛を伴って王の居城があるシノンへ向かいます。そこで彼女はシャルル7世に対し、自らの使命が神から与えられたものであることを確信させたのです。
オルレアンの解放とランスでの戴冠式
ジャンヌの活躍は目覚ましく、同年5月8日にはイングランド軍による包囲を受けていたオルレアンを見事に解放しました。「オルレアンの乙女」の名はここから広まりました。この勝利に続く一連の戦果により、シャルル7世はランスへの進軍を果たし、1429年7月17日、伝統的な戴冠式の地であるランスで正式に即位します。
しかし戴冠式以降、シャルル7世はジャンヌへの支援を次第に打ち切りました。結果として彼女は孤立した状態で各地の戦いに身を投じることになります。
捕虜、異端裁判、そして火刑
1430年5月23日、ジャンヌはコンピエーニュ近郊での戦闘中にブルゴーニュ派によって捕らえられ、同年11月にはイングランド側へ引き渡されました。シャルル7世の戴冠を無効化し、その権威を失墜させるため、イングランドは彼女を魔女・異端として裁こうとしたのです。
裁判は1431年1月9日からルーアンで非公開に行われ、ピエール・コーション司教が主導しました。ジャンヌは最後まで自分の聞いた「声」を否定せず、同年5月30日、ルーアンの広場で生きたまま火刑に処され、わずか19歳の短い生涯を閉じました。
死後の評価 ― 聖女としての復権
ジャンヌの死後、フランスは百年戦争に勝利します。1456年には当時の裁判の無効が宣告され、彼女の名誉は回復されました。さらに1920年にはローマ教皇によって列聖され、今日ではフランスの守護聖人の一人であり、国民的英雄として広く敬愛されています。
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