
ジョゼフィーヌ・マリー=ジョゼフ・ローズ・タッシャー・ド・ラ・パジェリー(1763年〜1814年)は、ナポレオン・ボナパルトの最初の妻であり、フランス史上初の皇后として知られる女性です。カリブ海の島マルティニークのプランテーション貴族の娘として生まれた彼女は、激動のフランス革命期を生き抜き、歴史を動かす男と運命の出会いを果たします。
最初の結婚とフランス革命の悲劇
ジョゼフィーヌは1779年、ヴィコント(子爵)アレクサンドル・ド・ボアルネと結婚しました。しかし夫はフランス革命の混乱の中で失脚し、恐怖政治の時代に反逆者として逮捕され、ついにはギロチン刑に処されてしまいます。ジョゼフィーヌ自身も投獄されましたが、ロベスピエールの失脚により奇跡的に難を逃れました。
この結婚で彼女は二人の子どもをもうけています。息子ウジェーヌと娘オルタンスです。後にオルタンスはナポレオンの弟ルイと結婚し、のちの皇帝ナポレオン3世の母となりました。
ナポレオンとの結婚
未亡人となったジョゼフィーヌは、1796年に若き将軍ナポレオン・ボナパルトと再婚します。当時まだ無名に近かったナポレオンがイタリア遠征軍の指揮官に任命されるよう、彼女はパリ政界での人脈を活かして尽力したと伝えられています。結婚直後にナポレオンはイタリアへ旅立ちましたが、戦地から送られてくる情熱的な手紙は、今なお語り草となっています。
皇后戴冠と離婚
1804年12月2日、ノートルダム大聖堂での戴冠式において、ジョゼフィーヌはナポレオン自らの手で后冠を受け、フランス皇后となりました。しかし、二人の間に世継ぎとなる子どもが授からなかったことは、帝政の存続に関わる重大な問題でした。ボナパルト一族はジョゼフィーヌに厳しい批判を浴びせ続け、姑であるレティツィア夫人からは強い憎しみすら買うことになりました。子宝に恵まれないことは、夫婦の調和を脅かす影として常に付きまとっていたのです。
王朝の継承を最優先したナポレオンは、1809年末についに離婚を決断します。政治的な理由による離縁でしたが、別れの際にナポレオンが流した涙は有名な逸話として残っています。その後、ナポレオンはオーストリア皇女マリー・ルイーズと再婚し、待望の世継ぎを得ました。
バラを愛した皇后
表舞台を退いた後のジョゼフィーヌは、余暇を園芸に捧げました。とりわけバラへの情熱は深く、居城マルメゾンの庭園において、ヨーロッパ中から250品種ものバラを収集する壮大な計画に取り組みました。このコレクションを描いた植物画家ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテの画集『バラ』は、今日でも植物画の最高傑作として称えられています。
1814年5月29日、ジョゼフィーヌはマルメゾンにて51年の生涯を閉じました。皇后としての栄光と挫折の両極を経験しながらも、その優雅さとバラへの深い愛は、現代に至るまで多くの人々を魅了し続けています。