
ルイ・マリー・ド・ラ・レヴェリエール=ルポー(Louis Marie de La Révellière-Lépeaux、1753年8月24日 – 1824年3月24日)は、フランス革命から総裁政府期にかけて重要な役割を果たしたフランスの政治家です。アンジェ出身の彼は、革命の各段階で常に穏健共和主義者の立場を貫きました。
幼少期とカトリックへの憎悪
彼は幼少期、家庭教師を務めていた司祭から激しい体罰を受けた結果、背中に障害(猫背)を負いました。この辛い経験が、生涯にわたってカトリック教会に対する強い憎悪を抱く原因となったとされています。
三部会当選とジロンド派としての活動
1789年、ラ・レヴェリエール=ルポーは三部会に選出されて政界入りしました。続く国民公会ではジロンド派に属し、個人の自由や報道の自由を擁護する穏健共和派として活動しました。
しかし1793年6月、ジロンド派が山岳派(ジャコバン派)によって権力から追われると、彼もまた逮捕を逃れて潜伏生活を余儀なくされます。恐怖政治が終わり、ロベスピエールが失脚した後(テルミドールの反動)、ようやく公の場へと復帰しました。
総裁政府の一員として
1795年に総裁政府(Directoire)が成立すると、彼は初代総裁の一人に選出されました。在任中、王党派の巻き返しに対処するため1797年の「フルクティドール18日のクーデター」に参加し、さらに1798年にはジャコバン派系議員の当選を無効化する「フロレアル法」にも関与するなど、体制防衛の先頭に立ちました。
同時に彼は熱心な理神論者でもあり、カトリックを排除して新しい宗教「テオフィランスロピー(神愛崇拝)」を普及させる政策を推進しました。しかしこの宗教政策は国民の支持を集められず、1799年6月に政界を去る一因となりました。
ナポレオン時代と晩年
1799年のブリュメール18日のクーデターでナポレオン・ボナパルトが権力を握ると、彼は表舞台から完全に退き、以降は公職に就くことなく静かな余生を送りました。1824年、パリでこの世を去りました。