歴史上の人物

アレクサンドル・ド・ラメット(1760-1829):フランス革命を生きた貴族政治家

アレクサンドル・ド・ラメット(1760-1829):フランス革命を生きた貴族政治家

アレクサンドル・ド・ラメット(Alexandre de Lameth、1760年-1829年)は、フランス革命期に活躍した貴族出身の軍人・政治家である。兄シャルル・マロ、弟テオドールという二人の兄弟とともに、彼は「ラメット三兄弟」として知られ、いずれも激動の革命時代を生き抜いた人物として歴史に名を刻んでいる。

アメリカ独立戦争への従軍と三部会選出

ラメットは兄弟のシャルルおよびテオドールとともに、若き日にアメリカ独立戦争へ志願兵として参加し、実戦経験を積んだ。帰国後の1789年、彼は貴族身分の代表として三部会に選出されるが、開会後まもなく第三部会側、すなわち国民議会の立場に加わるという思い切った決断を下した。貴族でありながら革命の理念を受け入れたこの姿勢は、当時としては極めて例外的なものであった。

1789年8月4日の夜と「三頭政治」

ラメットを二人の兄弟と区別する特筆すべき功績が、1789年8月4日の夜における活躍である。この夜、国民議会では封建的特権の全面的な廃止が決議されたが、ラメットはその採決を積極的に推進し、革命初期の重要な転換点に深く関与した。

さらに立法議会の時期まで、彼はバルナーヴおよびデュポールとともに「三頭政治(トリュンヴィラ)」と呼ばれる派閥を形成し、国民議会で絶大な影響力を誇ったミラボーに対抗する立場を取った。穏健な立憲君主制を支持するこのグループは、当時の政治状況において重要な役割を担っていた。

ヴァレンヌ事件以降の亡命と晩年

しかし、1791年の国王逃亡事件(ヴァレンヌ事件)や1792年8月10日のテュイルリー宮殿襲撃といった政変を経て、情勢は急速に悪化した。ラメットはラファイエットとともに国外へ脱出を図ったが、途中でオーストリア軍に拘束され、長期間にわたって抑留される憂き目に遭った。

1800年前後にフランスへ帰国すると、彼は政界ではなく行政の道へ進み、ナポレオン体制下およびその後の復古王政期において着実な官僚としての経歴を築いていった。

ギロチンを免れた三兄弟

恐怖政治の時代、多くの革命指導者が断頭台へ送られるなか、アレクサンドル、シャルル、テオドールのラメット三兄弟は奇跡的にすべて命を保ち、激動の時代を生き延びた。貴族でありながら革命に身を投じ、そして体制の変遷を乗り越えた彼らの生涯は、フランス革命の複雑さと多面性を象徴する存在といえるだろう。