歴史上の人物

ルイ17世(1785〜1795):テンプル塔で消えた最後の王太子

ルイ17世(1785〜1795):テンプル塔で消えた最後の王太子

ルイ17世(本名:ルイ・シャルル、1785年3月27日 - 1795年6月8日)は、フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの次男としてヴェルサイユ宮殿で生まれました。1789年、兄ルイ・ジョゼフの早逝に伴い王太子(ドーファン)の称号を継ぎますが、その直後にフランス革命の嵐が彼の運命を一変させることになります。

革命とテンプル塔への幽閉

革命が激化する中、王室一家は1792年に逮捕され、パリのテンプル塔に幽閉されました。幼いルイは匿名の囚人として扱われ、外部との一切の接触を断たれ、孤独と劣悪な環境の中で過ごすことになります。

名目上の王位請求者

1793年1月21日、父ルイ16世がギロチンで処刑されると、王党派はこの幼い王子を「ルイ17世」として王位継承者とみなしました。しかし、彼が実際に即位することは二度とありませんでした。まもなく母マリー・アントワネットも処刑され、残された少年はさらに深い絶望の中へ置かれていきます。

10歳での獄中死

1795年6月8日、ルイ17世はテンプル塔内の監房で、結核とみられる病によりわずか10歳で亡くなりました。しかし、その死が公式に十分検証されなかったこともあり、「実は生き延びていたのではないか」という噂や、彼を装う偽の王位請求者が後を絶たず、長年にわたり数多くの憶測と幻想を呼んできました。

DNA鑑定が明かした真実

2000年に行われた遺伝子解析により、テンプル塔で死亡した少年の心臓とされる標本が、マリー・アントワネットの血縁者と一致することが科学的に確認されました。これにより、ルイ17世がテンプル塔で確かに生涯を終えたことが裏付けられ、200年以上に及ぶ歴史の謎にようやく決着がついたのです。