エイミー・ユーフェミア・ジャック・ガーベイ(Amy Euphemia Jacques Garvey、1895年〜1973年)は、ジャマイカ出身のジャーナリスト、編集者、そして活動家です。夫マーカス・ガーベイの影に隠れがちですが、彼女自身も黒人解放運動において欠かせない役割を果たした人物でした。
教育を受けた女性
エイミーは1895年12月31日、ジャマイカのキングストンに生まれました。母シャーロット・ヘンリエッタ(混血)と父ジョージ・サミュエルの長女として、中流階級の家庭で育ちます。父ジョージは読書を奨励し、政治意識と世界への知識を身につけるよう娘に期待しました。エイミーは学校に通い、音楽やピアノを学びました。しかし一方でジョージは、娘には「女性的」とされる範囲の活動にとどまってほしいと考え、速記のレッスンを許可したのも、将来は看護師にさせるためだったといいます。
1914年に卒業すると、エイミーは法律事務所から採用の声をかけられますが、父は「男性ばかりの職場で働かせることはできない」と反対し、就職を拒まれてしまいました。ところが同年、父ジョージが亡くなります。遺産整理を担当する弁護士が母シャーロットを説得したことで、エイミーはその事務所で働くことを許されました。彼女は4年間そこで勤めた後、1918年にニューヨークへ旅立ちます。出発の際、米国に定住するかどうかはまだ決めておらず、生活環境が合わなければ帰国すると、雇用主と母に約束していました。
マーカス・ガーベイとの出会い
ニューヨークでエイミーは、同じジャマイカ出身の黒人指導者であり権利活動家でもあるマーカス・ガーベイの講演を聴きます。以前に一度会ったことのある人物でしたが、その演説に深く心を動かされました。ほどなくして彼女はマーカスの個人秘書となり、彼が創設したばかりの全米黒人地位改善協会(UNIA)でともに働くようになります。
当時マーカスは既婚者であり、二人の恋愛関係がいつ始まったのか(離婚前か離婚後か)については諸説あります。いずれにせよマーカスは1922年6月、妻に知らせないまま不在のうちに離婚を成立させ、その1ヶ月後にボルチモアでエイミーと結婚しました。
結婚当初、エイミーは夫の著作や演説を編纂し、『マーカス・ガーベイの哲学と思想(Philosophy and Opinions of Marcus Garvey)』として出版する作業に取り組み、その思想を一般の人々に分かりやすく伝えました。次第に彼女は協会内で重要な存在となり、とりわけ女性の代表として活躍します。夫の演説原稿の一部を執筆し、聴衆からの要望にも応えて、夫とともにたびたび壇上に立ちました。優れた弁舌の才を発揮し、その演説は高い評価を受けています。
マーカスの投獄とエイミーの奮闘
1919年、マーカスは海運会社「ブラック・スター・ライン(Black Star Line)」を設立します。これは、世界各国の黒人をアフリカへ帰還させるという彼の構想を支えるための会社でした。しかし結婚の翌年、1923年6月、海運会社の破綻によりマーカスは詐欺および横領の罪で有罪判決を受けます。半年後には懲役5年の刑を宣告され、アトランタの刑務所に収監されました。
ここでエイミー・ジャック・ガーベイはUNIAの運営を引き継ぎ、夫の弁護資金を集めるため全米を巡るツアーを開始します。同時に、マーカスの演説や著作の収集・出版の仕事も続け、釈放に向けて尽力しました。
1927年、マーカスの刑は国外追放へと減刑され、エイミーは彼とともにジャマイカへ戻ります。夫妻は現地で2人の息子、マーカス・モシア・ガーベイ・ジュニアとジュリアス・ウィンストン・ガーベイをもうけました。ジャマイカで講演活動を再開したマーカスでしたが、すぐに居心地の悪さを感じ、1934年には妻と息子たちを残して単身イギリスへ移住します。そして1940年、その地で亡くなりました。
同じ1940年、エイミーはハーレムで発行される新聞「The African」の編集者となります。1940年代後半にはジャマイカでアフリカ研究会を結成し、1963年にはナムディ・アジキウェ大統領の招きでナイジェリアを訪問しました。
著書『Garvey and Garveyism』
1963年、エイミー・ジャック・ガーベイは自らの著書『Garvey and Garveyism(ガーベイとガーベイズム)』を出版します。続いて1968年には『Black Power in America: The Power of the Human Spirit(アメリカにおけるブラック・パワー――人間精神の力)』を刊行し、さらに『マーカス・ガーベイの哲学と思想』の最終巻を世に出しました。
エイミー・ジャック・ガーベイは1973年7月25日、故郷キングストンでこの世を去りました。
関連リンク
エイミー・ジャック・ガーベイのWikipediaページ(英語版)
Amy Jacques Garvey