歴史上の人物

ギヨーム=クレティアン・ド・ラモワニョン・ド・マルゼルブ(1721年-1794年)

ギヨーム=クレティアン・ド・ラモワニョン・ド・マルゼルブ(1721年-1794年)マルゼルブとして知られるギヨーム=クレティアン・ド・ラモワニョンは、1721年12月6日にパリで生まれ、1794年4月22日に処刑された、フランスの司法官・政治家です。

啓蒙思想の保護者として

彼は間接税に関する訴訟を扱う王立裁判所「クール・デ・エード(助成法院)」の第一院長を務めるとともに、出版検閲を管轄する出版管理局長官にも就任しました。この職にあった彼は、ディドロやダランベールが編纂した『百科全書』の刊行を陰ながら擁護し、啓蒙思想の発展に大きく貢献しました。検閲官でありながら自由な言論を守ろうとしたその姿勢は、後世に高く評価されています。

政界での浮沈

1775年には国王家政部長官(大臣級の要職)に任命されましたが、改革への反発などにより、わずか1年後の1776年に辞任を余儀なくされました。以後しばらく公職から離れて過ごします。

ルイ16世の弁護と最期

フランス革命が激化するなか、廃位されたルイ16世が国民公会で裁かれることになると、マルゼルブは自ら進んで国王の弁護人を務めました。しかし弁護のかいもなく国王は死刑判決を受け、マルゼルブ自身も恐怖政治(テロル)の時代に逮捕され、家族や親族とともにギロチン刑に処されました。

旧体制を支えた司法官でありながら思想の自由を守り、最後には自らの信念のために命を捧げたマルゼルブは、フランス史上屈指の気節ある人物として記憶されています。