ジャン・カラス(1698年~1762年)は、フランス南西部タルヌ地方に生まれ、トゥールーズで織物商人として身を立てていたプロテスタント(ユグノー)の商人でした。
悲劇の始まり
1761年10月、カラスは自らの店で息子マルク=アントワーヌが首を吊って死んでいるのを発見しました。家族の名誉を守るため、彼は当初、これが自殺であることを隠そうとしました。
しかし、当時のトゥールーズはカトリック色の非常に強い街であり、裁判は宗教対立を背景に行われることになります。近隣住民が流した「マルク=アントワーヌがカトリックへ改宗するのを防ぐために父親が息子を殺害した」という噂を真に受けたトゥールーズ高等法院は、ジャン・カラスを殺人罪で告発しました。
不当な判決と処刑
司祭の証言は、マルク=アントワーヌがカトリックに接近する意思を持っていなかったことを裏付けていましたが、それでも裁判所は有罪を宣告。1762年3月10日、ジャン・カラスは車輪刑に処され、絞殺された後、広場で焼かれて果てたのです。
ヴォルテールの介入と名誉回復
この事件に義憤を抱いた哲学者ヴォルテールは、遺族や弁護人による調査を通じてジャン・カラスの無実を確信し、1763年に『寛容論』を出版して世論に訴えかけました。
ヴォルテールは、宗教改革と宗教戦争から受け継がれた不寛容こそが、カラス一家を苦しめたこの不当な裁判の根本原因であると考えました。国王評議会への上訴など精力的な活動を展開した結果、事件は再審に付されることになります。
そして1765年3月9日、ジャン・カラスの名誉は正式に回復され、この司法史上に残る冤罪事件はようやく幕を閉じました。カラス事件は、思想の自由と宗教的寛容を求める啓蒙思想の象徴として、今日も語り継がれています。
人物情報
生没年:1698年~1762年
職業:商人
詳細:織物商人