歴史上の人物

ミケランジェロ――ルネサンスが生んだ万能の天才芸術家

ルネサンス期イタリアを代表する巨匠、ミケランジェロ・ブオナローティ(1475年~1564年)。彫刻家、画家、建築家、都市計画家、詩人と、あらゆる分野で比類なき才能を発揮した彼の生涯は、まさにルネサンス精神の結晶といえます。

メディチ家のもとで培われた教養

ミケランジェロは、フィレンツェの実力者ロレンツォ・デ・メディチ(豪華王)と交流しながら研鑽を積み、古代文化とヒューマニズム(人文主義)の薫り高い環境の中で芸術的素養を深めていきました。1492年にメディチ宮殿を離れた後は、ヴェネツィアへ、さらにボローニャへと移り、各地で修業時代を過ごします。そして1498年、ローマのサン・ピエトロ大聖堂のための傑作「ピエタ」を制作し、一躍その名を知られるようになりました。

「ダヴィデ像」とシスティーナ礼拝堂天井画

1501年にフィレンツェへ戻ったミケランジェロは、巨大な大理石の塊から「ダヴィデ像」を彫り上げ、彫刻家としての名声を不動のものとします。ほどなくしてローマへ招かれ、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画制作を命じられました。

1508年から1512年にかけて描かれたこの壮大な作品は、旧約聖書の諸場面を通じて人類の歴史を表現したものです。さらに後年、1536年から1541年にかけて祭壇壁に「最後の審判」を加え、礼拝堂の装飾は完成へと至りました。

メディチ家廟と晩年の活動

1515年前後にはフィレンツェで、ジュリアーノ公とロレンツォ2世の墓廟を手がけ、時間の流れを象徴する寓意像を配した荘厳な霊廟を生み出しました。

1535年にはヴァチカンの建築家・画家・彫刻家に任命されます。そして1546年からはサン・ピエトロ大聖堂の主任建築家を務め、現在見られるドームの設計などに携わりました。晩年まで創作意欲は衰えることなく、88歳という高齢まで第一線で活躍し続けました。

生涯と業績

ミケランジェロは1564年2月18日、ローマでこの世を去りました。権威ある大聖堂の装飾から個人の依頼品まで、その創作は当時から高く評価され、今日でも人類の芸術遺産の中で燦然と輝いています。その作品には、ルネサンス芸術の到達点ともいうべき彼の類まれな天才性が余すところなく表現されているのです。

プロフィール

  • 生没年:1475年 ~ 1564年
  • 肩書:彫刻家/画家/建築家/都市計画家/詩人