ミハイル・ゴルバチョフとは
ミハイル・ゴルバチョフ(1931年~2022年)は、ソビエト連邦の政治家であり、同国史上初代かつ唯一の大統領として知られる人物です。1931年に生まれた彼は、モスクワ大学で法学を専攻し、1950年にコムソモール(共産主義青年団)に加盟した後、ソ連共産党へ入党しました。
その後、党幹部として着実にキャリアを積み重ね、1978年には党中央委員会書記に就任し、さらに政治局(ポリトブルーロ)メンバーにも選出されました。そして1985年、ゴルバチョフはソ連共産党中央委員会書記長に選出され、ソ連の最高指導者の座に就きます。
ペレストロイカとグラスノスチ――歴史的な改革路線
国内経済の深刻な困難や軍縮の必要性を痛感していたゴルバチョフは、二つの大きな改革路線を打ち出しました。一つは党および社会体制の再構築を目指す「ペレストロイカ」、もう一つは情報公開や言論の相対的自由化を掲げる「グラスノスチ」です。
対外関係においても柔軟な姿勢を示し、ドイツ再統一の受け入れに最終的に同意したほか、アメリカのロナルド・レーガン大統領との対話の扉を開き、また鄧小平率いる中国との国交正常化も加速させました。
ノーベル平和賞とSTART I条約
1990年には冷戦緩和への貢献が評価され、ノーベル平和賞を受賞します。さらにジョージ・H・W・ブッシュ米大統領との間で第一次戦略兵器削減条約(START I)に調印し、核軍縮の道を大きく前進させました。
クーデター未遂とソ連崩壊
しかし、急進的な改革は彼自身が制御できないほどの激流を生み出すことになります。1991年8月19日から21日にかけて、保守派の側近らによるクーデター(八月のクーデター)が発生。これを受け、ゴルバチョフは同年8月24日にソ連共産党書記長職を辞任しました。そして1991年12月25日、ソビエト連邦は正式に解体。ボリス・エリツィンを首班とするロシア連邦の誕生となったのです。
国内外での評価
ソ連崩壊による混乱や生活水準の低下を招いた責任を問われ、ロシア国内では主に批判の対象となることが多い一方、ゴルバチョフは西側諸世界では冷戦を平和裏に終結させた偉大な政治家として高い知名度と評価を今なお享受しています。
在命:1931年~2022年
職業:政治家