イングランド史において、断頭台でその生涯を閉じた女性たちは少なくありません。なかでも特に有名なのが、テューダー朝期に処刑されたアン・ブーリン、キャサリン・ハワード、そしてスコットランド女王メアリーの3人です。彼女たちがどのような理由で処刑されたのか、それぞれの最期を見ていきましょう。
アン・ブーリン(1536年5月19日処刑)
アン・ブーリンは、イングランド王ヘンリー8世の2番目の王妃です。ヘンリー8世は彼女との結婚のためにローマ教皇と対立し、イングランド国教会の設立という歴史的転換を引き起こしたことでも知られています。
しかし、男子の後継者を生めなかったことや宮廷内の政争などが重なり、アン・ブーリンは大逆罪および不貞の罪を着せられました。1536年5月19日、ロンドン塔にて斬首刑に処されました。彼女の娘が、後のエリザベス1世です。
キャサリン・ハワード(1542年2月13日処刑)
キャサリン・ハワードは、ヘンリー8世の5番目の王妃です。アン・ブーリンの従妹にあたり、若くして王妃となりましたが、結婚以前および結婚後の恋愛関係が発覚し、大逆罪と不貞の罪に問われました。
1542年2月13日、彼女もまたロンドン塔で斬首刑に処されています。わずか20歳前後という若さでの死でした。こうしてヘンリー8世の王妃のうち2人が同じ方法で命を落とすことになったのです。
メアリー・スコット女王(1587年2月8日処刑)
メアリー・スコット女王(メアリー・ステュアート)は、スコットランドの女王であり、同時にイングランド王位の継承権も主張していた人物です。カトリック信徒だった彼女は、イングランドのプロテスタント体制にとって大きな脅威とみなされていました。
彼女はイングランド女王エリザベス1世の暗殺を企てた容疑(バビントン陰謀事件)で有罪とされ、1587年2月8日、フォザリングヘイ城にて斬首刑に処されました。なお、メアリーはヘンリー8世の王妃ではなく、エリザベス1世の治世下で処刑された点に注意が必要です。
まとめ
アン・ブーリンとキャサリン・ハワードはヘンリー8世の王妃として、メアリー・スコット女王はエリザベス1世との対立の中で、それぞれ断頭台の露と消えました。権力と宗教が複雑に絡み合うテューダー朝期の悲劇は、現代にも多くの人々を魅了し続けています。