バイユータペストリーは、11世紀に制作された中世ヨーロッパを代表する刺繍作品です。全長約70メートルにおよぶこの布地には、1066年のノルマン・コンクエスト(ノルマンディー公ギヨームによるイングランド征服)の物語が、鮮やかな色彩と緻密な描写で描かれています。では、この貴重な作品はなぜ、誰によって作られたのでしょうか。
制作を命じたのはオド司教
バイユータペストリーの制作を命じたとされるのは、ノルマンディー地方バイユーの司教オドです。彼はイングランドを征服したウィリアム征服王の異母兄弟であり、ヘイスティングズの戦いにも従軍した人物でした。オド司教がこの作品を発注した最大の目的は、兄ウィリアムの偉業である1066年のノルマン・コンクエストを記念し、後世に伝えることにあったと考えられています。また、当時新しく建設されたばかりのバイユー大聖堂を飾るため、あるいは1077年頃の献堂式に合わせて展示する意図があったという説も有力です。
制作された場所と時期
興味深いことに、現在フランスのノルマンディーで保管されているこの作品は、実際にはイングランドで制作されたと考えられています。特に有力視されているのが、カンタベリーの写字室(スクリプトリアム)で制作されたという説です。当時のイングランドは刺繍技術において高い評価を受けており、「オパス・アングリカヌム」として知られる精巧な技法が用いられました。完成は1077年頃、すなわちヘイスティングズの戦いから約10年後と推定されています。
タペストリーが語る物語
「タペストリー」と呼ばれていますが、厳密にはこれは織物ではなく、リネンの布に彩色された毛糸で図柄を刺繍した作品です。描かれている内容は、イングランド王エドワード懺悔王の時代から始まり、王位継承をめぐる出来事、ハロルド王の戴冠、そして1066年10月14日のヘイスティングズの戦いとその後の顛末まで、一連の出来事を時系列で追っています。58の場面に分かれた物語には、600人以上の人物、約200頭の馬、艦隊、城塞、さらにはハレー彗星までもが描き込まれており、当時の人々の服装、武器、生活様式を知る貴重な手がかりとなっています。
貴重な歴史資料としての価値
バイユータペストリーは、単なる美術品にとどまらない価値を持っています。1066年の出来事に関する同時代の詳細な視覚的記録は他にほとんど存在せず、この作品はノルマン・コンクエストを研究する上で最も重要な資料の一つとされています。現在はフランス・ノルマンディーのバイユー市で一般公開されており、今後はイギリスでの展示も計画されるなど、千年近くの時を経てなお世界中の注目を集める文化遺産です。