ベトナム近代史を学ぶうえで欠かせない「第一次インドシナ戦争」。この記事では、同戦争に関する練習問題を4問用意しました。各問には丁寧な解説が付いているので、テスト対策や復習にぜひご活用ください。
問題1:ベトナム分断(北緯17度線)は誰が、いつ決めた?
ベトナムが北ベトナムと南ベトナムという2つの政体に分断されるきっかけとなった、北緯17度線による分割は、誰によって、いつ定められたものでしょうか。
- a) 日本軍が、1940年のインドシナ侵攻時に
- b) フランスが、19世紀のコーチシナ併合時に
- c) ベトナム人自身が、1954年の独立時に
- d) 連合国が、第二次世界大戦中のポツダム会談で
- e) 中国が、中国革命の結果として同国へ侵攻した際に
問題2:フランスを敗北させた最終決戦の場所は?
インドシナ戦争においてフランス軍を打ち破り、休戦交渉を余儀なくさせた最後の決戦は、どこで行われたでしょうか。
- a) コーチシナ
- b) アンナン
- c) プノンペン
- d) ホーチミン
- e) ディエンビエンフー
問題3:1954年のジュネーブ協定が意味するものとは?(UEL)
1945年以降の国際関係において、1954年のジュネーブ協定は何を意味するものでしょうか。
- a) インドシナにおけるフランス植民地主義の終焉
- b) 朝鮮戦争の終結
- c) ベトナムの2つの独立国家への恒久的な分割
- d) ベトナム再統一のための総選挙準備の開始
- e) ソ連とアメリカによる平和共存の始まり
問題4:アメリカがフランスを支援した理由は?
インドシナ戦争は、植民地支配の維持を目指すフランスと、その支配からの脱却を目指すベトナムとの間で繰り広げられた紛争でした。1949年以降、アメリカはフランスを財政的に支援し始め、やがてフランスの戦費の4分の3を負担するまでになりました。このようなアメリカの姿勢は何によって説明できるでしょうか。
- a) ベトナムに存在するゴムの木から採れるラテックス(天然ゴム)の搾取協定を有効に保つため、フランスの植民地支配の維持を図ろうとしたアメリカの利害によるもの
- b) 特に中国革命以降、東南アジアにおける共産主義の拡大を恐れたアメリカの懸念によるもの
- c) 第二次世界大戦中に日本を支持したことへの「罰」として、フランスを支援することでベトナムを懲らしめる意図によるもの
- d) インドシナの独立が、太平洋におけるアメリカの支配地域であるフィリピンで同様の独立運動を引き起こすことを恐れたため
- e) ローンという形でのアメリカの支援は、協定で取り決められたとおり、約10年かけて利子の支払いにより資金を回収することを保証するためのものであったから
解答と解説
問題1の解答:d
北緯17度線によるベトナムの分割と、2つの別個の政体の創設は、第二次世界大戦末期のポツダム会談において連合国によって決定されました。ベトナム南部はイギリスが占領し、後にフランスへ返還されることになりました。一方、北部は中国が占領する予定でした。しかし、北部での中国による占領は、ホー・チ・ミン率いる共産主義勢力が北ベトナムを独立共和国として宣言し、実効的な支配を確立したため、承認されることはありませんでした。
問題2の解答:e
インドシナ戦争の最後の決戦は、ベトナム北部の山岳地帯に近いディエンビエンフーで行われました。同市を占拠していたフランス軍約1万6,000人の部隊は、ボー・グエン・ザップ将軍率いる10万人を超えるゲリラ部隊によって密かに包囲されました。ゲリラ部隊は市街地への激しい攻撃を仕掛け、フランス軍は敗走し、約2,000名の死者を出す結果となりました。
問題3の解答:a
ジュネーブ会議は1954年、ディエンビエンフーでフランスが敗北した直後に開催されました。フランス国内世論が戦争に反対的であったことに加え、ディエンビエンフーで壊滅的な敗北を喫したこともあり、フランスは休戦交渉とインドシナ支配の終了を選択しました。その結果、ラオス、カンボジア、北ベトナム、南ベトナムがそれぞれ独立国家となること、そしてフランスが当該地域から撤退することが定められました。
問題4の解答:b
アメリカによるフランス支援は、東南アジア地域における共産主義の拡大に対する恐れから生まれたものです。中国に共産主義政権が樹立された後、冷戦というイデオロギー対立に突き動かされたアメリカは、他のアジア諸国も共産化しないよう行動を開始しました。中国の支援を受ける強力な共産主義勢力がベトナムに存在することはアメリカを強く警戒させ、こうして同国はインドシナ戦争中、フランスを支援するようになったのです。