君主制の神話化に関する演習問題
本ページでは、近代ヨーロッパにおける絶対王政と君主制の神話化について理解を深めるための演習問題を4問用意しています。各問いに取り組んだ後、最後に掲載している解答と解説で自分の理解を確認しましょう。
問1
(PUC-SP)
「王の玉座は人間の玉座ではなく、神そのものの玉座である。王は神であり、何らかの形で神的な独立を分かち持つ存在である。王はより遠くから、より高いところから物事を見る。ゆえに、王はより正しく物事を見ていると信じなければならない……」
(ジャック・ベニーニュ・ボシュエ)
このボシュエの言葉が示すのは、次のどのような文脈でしょうか。
- 12世紀のフランスにおいて、教皇が神の代理人として君主権力を行使しようとしたことにより、教会と国家との間に深刻な亀裂が生じていた時代。
- 10世紀のイングランドにおいて、カトリック教会が封建貴族と完全に歩調を合わせて行動していた時代。
- 18世紀のイングランドにおいて、啓蒙思想に基づく統治観が展開されていた時代。
- 17世紀のフランスにおいて、国民的君主制が確立された時代。
- 16世紀のスペインにおいて、アラゴン王国とカスティーリャ王国の王位が合同した時代。
問2
(FAAP)
主に16世紀以降、多くの思想家たちが王権を正当化する理論を展開し始めました。彼らは世俗的あるいは宗教的な教義を通じて、絶対主義を合法化しようとしたのです。その一人であるマキャヴェッリは、為政者の最高の義務は自らが統治する国の権力と安全を維持することであると主張しました。そのためにはあらゆる手段を用いるべきであり、いわゆる「目的は手段を正当化する」という考えを説きました。この思想を著した有名な作品とは、次のうちどれでしょう。
- 『リヴァイアサン』
- 『戦争と平和の法』
- 『国家(レプブリカ)』
- 『君主論』
- 『聖書に由来する政治論』
問3
近代ヨーロッパの君主たちの神話化プロセスに関して、誤っている選択肢を選びなさい。
- 王は単なる政治職の担い手としてではなく、正義、秩序、繁栄、勝利、力といった揺るぎない徳を備えた存在として捉えられていた。
- 君主の神聖な性格は近代の数世紀にわたって構築され、中世世界のさまざまな価値観の名残を色濃く残していた。
- 王は精緻で色彩豊かな衣装をまとい、金メッキの装飾品を身につけ、聖遺物を手にすることで、その外見によって臣民から際立っていた。
- 戴冠式における聖職者による祝福は、国家と教会の合意や従属関係を証明するものというよりも、民衆の前で新たな「運命を背負った者」が神聖な地位に就くという魔術的な出来事の成就を示すものであった。
- 18世紀以降も、啓蒙的合理主義が大きく広がったにもかかわらず、王への崇拝に反対する議論は構築されず、王権は挑戦を受けることなく維持され続けた。
問4
以下の文章を読みなさい。
「さて、王はまだ夜の支度をしているところだ。衣服は聖遺物のように恭しく手から手へと渡され、これは他の侍女や小姓たちの見ている前で行われる。引き出しを開ける者、帳を引く者、灯りを掲げる者、その明かりを加減する者、動かぬ二人、それにならう二人、さらに何をしているのか、なぜそこにいるのか分からない者たちが幾人か。こうして皆の労苦の末にようやく身支度を整えた王の、最後の皺を直す貴族が一人、刺繍を施された帯を調える者がもう一人。」
(ジョゼ・サラマゴ『修道院紀事』より)
この文章でサラマゴは、近代国家が確立された時期の宮廷での日常を描写しています。次の選択肢のうち、君主専制(絶対王政)に該当しないものはどれでしょう。
- 日常の些細な動作の荘重さは、王権を寓意的に誇示するための儀礼の一部であった。
- 近代の貴族階級は封建貴族とは完全に異なり、称号や所領を世襲で相続するのではなく、もっぱら購入によってのみ譲渡されるようになった。
- 君主の日常生活に不可欠とされた華やかさと手厚い世話の必要性から、しばしば無用でありながら莫大な財政負担となる官僚層が形成された。
- 王の衣装は臣民との差別化の一つの形態であり、君主の優越性という神秘的な領域を作り出すために用いられた。
解答と解説
問1の解答
正解:D
17世紀の法規範は、王権の行為に正当性を与え、この新しい権力を国家制度の中に位置づけることを目指していました。君主制の神性に訴えることは、この試みを強固なものにする役割を果たしたのです。
問2の解答
正解:D
マキャヴェッリの主著は、ロレンツォ・デ・メディチに捧げられた『君主論』です。
問3の解答
正解:E
啓蒙的合理主義の理念は王権に対して根本的な疑問を投げかけ始め、その主要な帰結の一つが1789年のフランス革命でした。
問4の解答
正解:B
近代の貴族階級は封建貴族の延長線上にあり、両時期の間にいくらかの違いはあったものの、称号と土地所有の世襲的性格は維持され続けました。