歴史クイズ

フランス絶対主義の演習問題|全5問を詳しく解説

近世ヨーロッパ史における最重要テーマの一つがフランス絶対主義(絶対王政)です。本記事では、入試や定期テストで頻出の演習問題を5問厳選し、解答と詳しい解説を付けて紹介します。ルイ14世の「朕は国家なり」という有名な言葉、ユグノー戦争、聖バルトロマイの虐殺、ナントの勅令など、押さえておきたいポイントを一緒に確認しましょう。

問題1

(UFV-MG) 近世(15世紀~18世紀)における西欧諸国民国家の形成は、各国ごとに独自の歩みをたどったものの、その成立過程には共通する特徴が見られました。次の記述のうち、誤っているものを選びなさい。

  1. 政治面では絶対王政が確立され、フランスはその典型例とされる。
  2. 聖職者と貴族は土地の所有によって地位と威信を保障され、常に一致団結して自らの利益を守ってきた。
  3. 社会面ではブルジョワジーが緩やかに台頭し、当時のほぼすべての事業の先頭に立っていた。
  4. 国家を強化するため、国王たちは富の蓄積と国民経済の発展を目指す一連の政策、すなわち重商主義を採用した。
  5. イタリアにおける政治権力の中央集権化は、ジェノヴァとヴェネツィアの商業ブルジョワジーの多大な影響によるものであった。

問題2

(FATEC-SP) 次の史料を読み、問いに答えなさい。

フランスは君主国である。国王は国民全体を代表するが、各人は国王の前ではただ一人の個人にすぎない。それゆえ、あらゆる権力と権威は国王の手の中にあり、王国には国王が定めた権威のみが存在しなければならない。国王はその所有者であり、助言に耳を傾け、諮ることはできても、決定を下すのは国王自身でなければならない。国王をお造りになった神は、善き意志を示す限り、必要な叡智を授けてくださるだろう。
― ルイ14世『統治の術についての回想録』より

近世ヨーロッパ諸国で実践された君主制絶対主義は、次のように特徴づけられる。

  1. 絶対主義的な君主と商業ブルジョワジーとの同盟により、貴族の力を支配・排除しようとしたもの。
  2. ブルジョワジーとプロレタリアートとの間の成功した同盟。
  3. 権力が一人の人間の手に集中し、その人物が国家のあらゆる機能を担う権威主義的な統治形態。
  4. 君主が臣民に対して行使した専制の同義語。
  5. 貴族の手に全面的な権力が集中し、裁判官や議員が裁判と立法を担った体制。

問題3

次の文章の空欄に入る語句の組み合わせとして正しいものを選びなさい。

16世紀を迎えると、_____王朝は、国土を覆う凄惨な宗教戦争のさなかで王権の強化を再開した。_____王(在位1560年~1574年)の治世には、_____貴族と_____ブルジョワとの間で幾多の紛争が発生し、王権の安定が脅かされた。1572年8月24日の______の夜には、パリ市の住民約3万人が命を落とす、最も激しい衝突の一つが起こった。

  1. ブルボン朝/ルイ14世/ユグノー/カトリック/聖パトリック
  2. オルレアン朝/アンリ6世/カトリック/カルヴァン派/聖クリスピン
  3. ヴァロワ朝/シャルル9世/カトリック/カルヴァン派/聖バルトロマイ
  4. ヴァロワ朝/シャルル10世/貴族的/資本家/聖バルトロマイ
  5. ブルボン朝/シャルル9世/カトリック/カルヴァン派/聖アントニオ

問題4

フランス絶対主義に関する以下の記述を読み、正誤を判断しなさい。

I ― 宗教上の紛争に終止符を打つため、アンリ4世はプロテスタントに信仰の自由を認める協定「ナントの勅令」に調印した。

II ― ルイ13世は即位後、宰相リシュリューに広範な権限を委任した。リシュリューは国内の貴族や商人に対する王権を拡大する施策を講じるとともに、三十年戦争(1618年~1648年)においてフランスをハプスブルク家と対立させた。

III ― 幼少期から王位への備えを積んできたルイ14世は、「朕は国家なり」という言葉で絶対主義統治の本質を言い表した。また、大臣コルベールの補佐を受けてフランスの重商主義を確立し、ブルジョワの活動を促進した。

正しい組み合わせを選びなさい。

  1. IとIIのみ正しい
  2. IとIIIのみ正しい
  3. IIとIIIのみ正しい
  4. すべて正しい
  5. すべて誤り

問題5

下の画像を見てください。

フランス絶対主義の演習問題|全5問を詳しく解説
『ルイ14世の家族』ジャン・ノクレ(Jean Nocret、1615年~1672年)作
画像提供:Web Gallery of Art

この画像からは、ルイ14世が神にも似た神話的な存在として描かれていることが読み取れます。彼の治世における政治的中央集権化は近世の頂点に達し、次の言葉が彼に帰せられています。

  1. 「朕は国家なり」
  2. 「来た、見た、勝った」
  3. 「私は歴史に入るために生を去る」
  4. 「頭を下げる者は、他の人を伸ばすことはできない」
  5. 「愛されるよりも恐れられる方が、はるかに安全であるように思われる」

解答と解説

問題1の解答

正解:E

イタリアの政治的統一は19世紀、すなわち現代史の時期になって初めて実現しました。それ以前のイタリアは複数の独立した国家に分裂していたのです。したがって、「イタリアの中央集権化はジェノヴァとヴェネツィアの商業ブルジョワジーの影響による」という記述は誤りとなります。

問題2の解答

正解:C

権力の君主一人への集中こそが絶対主義の最大の特徴です。史料に引用されたルイ14世の言葉からもそれが読み取れます。実際、ルイ14世は「朕は国家なり(L'État, c'est moi)」とまで語った君主でした。まさに、あらゆる権力が単独の人物に完全に集中していたのです。

問題3の解答

正解:C

聖バルトロマイの夜(聖バルトロマイの虐殺)はシャルル9世の治世中に起こり、約3万人が犠牲となりました。この悲劇は宗教改革期の大規模な宗教対立の一部でした。フランスでは、1598年のナントの勅令によってようやく宗教紛争の収拾が図られることになります。

問題4の解答

正解:D(すべて正しい)

記述Iのナントの勅令(1598年)、IIのリシュリューによる王権強化と三十年戦争への参戦、IIIのルイ14世の「朕は国家なり」とコルベールによる重商主義の推進は、いずれもフランス絶対主義の歴史を語る上で欠かせない事実です。

問題5の解答

正解:A

ルイ14世に帰せられる有名な言葉は「朕は国家なり」です。神話の神々の中に描かれた肖像画は、王権神授説に基づく絶対君主の威光を象徴しています。

まとめ

フランス絶対主義は、ヴァロワ朝期の宗教戦争を経て、ブルボン朝のアンリ4世、ルイ13世(宰相リシュリュー)、そしてルイ14世の時代に完成へと向かいました。「朕は国家なり」に象徴されるように、王権の絶対性と中央集権化がその核心です。試験対策としては、年代順の流れと主要な人物・出来事(ナントの勅令、三十年戦争、重商主義)をセットで覚えることが効果的です。