歴史クイズ

イギリス絶対王政の演習問題|テューダー朝から名誉革命まで徹底解説

本演習では、近代イギリス国家の形成と絶対王政に関する選択式問題を4問取り上げます。テューダー朝の台頭から名誉革命まで、試験で頻出のポイントを網羅しています。各問題の後に解答と詳しい解説を掲載しているので、まずは自力で解いてみてください。

問題1(PUC-RS)

イングランドにおける近代国家の形成に関する以下の記述を読み、問いに答えなさい。

I. 16世紀のプロテスタント宗教改革の失敗は、イングランドにおける政治・行政の中央集権化の進展を遅らせた。この期間を通じて教会が国内の経済力を保持し続け、大貴族の私的権力を支えていたためである。

II. ブルジョワジーといわゆるジェントリー(郷紳)は、16世紀のテューダー朝による中央集権化政策を支持した。彼らは政治的安定から特に大きな恩恵を受ける社会集団だったからである。

III. 1558年に始まったエリザベス1世の時代は、議会の法的抑圧と王権神授説の強制によって、イングランドにおける君主専制(絶対王政)の確立を象徴する時代となった。

以上の記述を分析すると、正しいものとして結論づけられるのは次のうちどれか。

a) Iのみが正しい
b) IIのみが正しい
c) IとIIIのみが正しい
d) IIとIIIのみが正しい
e) I、II、IIIすべてが正しい

問題2

薔薇戦争(バラ戦争)は、結果としてイングランドにおける絶対王政の強化に寄与することになった。その主な理由は次のうちどれか。

a) 議会が復活し、国王の権限は弱いまま据え置かれた。
b) ヨーク家とランカスター家という貴族家門の間に基本的な同盟が成立した。
c) ランカスター朝がイングランドの宮廷を掌握するようになった。
d) ヘンリー7世の即位により、テューダー朝が民衆の支持を獲得した。
e) テューダー朝がヨーク家によって権力の座から追放された。

問題3

イギリス絶対王政期における国王ヘンリー8世(1491年~1547年)の主要な施策に含まれるものは、次のうちどれか。

a) イギリス諸都市の工業化の推進
b) イスラム教への改宗
c) カトリック教会の権威に打ち勝つ形でのイングランド国教会の創設
d) カトリック教会による対抗宗教改革の諸施策への支援
e) 議会の権力への全面的な服従

問題4(UECE)

1688年のイングランド革命が表していたものは、次のうちどれか。

a) 議会が行使する権力の縮小
b) 普通選挙の採用に伴う貴族勢力の消滅
c) 数十年にわたるカトリック系国王の権力の回復
d) 絶対王政の敗北により、議会が国家の政治的主権者となったこと
e) 戦時において法律の執行を停止しうる主権的権力の確立

解答と解説

問題1の解答

正解:b(IIのみが正しい)

記述IIが正しい。ブルジョワジーとジェントリー(郷紳)は、テューダー朝の中央集権政策がもたらす政治的安定から最も利益を得る層であったため、これを積極的に支持した。

一方、記述Iは誤りである。イングランドでは16世紀にヘンリー8世がローマ・カトリック教会との決別という宗教改革を成し遂げ、国王が教会の財産と権威を掌握したことで、中央集権化はむしろ加速した。

さらに記述IIIも誤りである。エリザベス1世の時代にも議会は廃止されず、王権神授説が本格的に主張されるようになったのは、ステュアート朝のジェームズ1世以降のことである。

問題2の解答

正解:d

ヨーク家とランカスター家の間で争われた薔薇戦争(1455年~1485年)により、イングランドの政治・経済情勢は大きく動揺した。長年の内乱で旧来の貴族勢力が疲弊・衰退する中、テューダー家出身のヘンリー7世が広く民衆の支持を得てイングランド王位に就いた。ここにイギリス絶対王政が幕を開けたのである。

問題3の解答

正解:c

ヘンリー8世は、男子継承者の確保のための再婚をカトリック教会が認めなかったことを背景に、ローマ教皇の権威から独立したイングランド国教会を創設した。この一連の動きは、聖職者を含むあらゆる権力機構の上に立つ国王の優越性を示すものとなり、「国王至上法」によって国王が教会の最高首長と定められた。

問題4の解答

正解:d

1688年の名誉革命(栄光の革命)により、イングランドは議会の権力を回復し、政治の基盤から国王の絶対的な強制力を排除することに成功した。翌1689年の「権利章典」の制定を経て主権は議会へと移り、イギリスは立憲君主制への道を歩み始めた。