はじめに:独ソ不可侵条約とは
1939年8月23日に調印された独ソ不可侵条約(モロトフ・リッベントロップ協定)は、第二次世界大戦前夜の国際情勢を理解するうえで欠かせない出来事です。イデオロギー面で真っ向から対立していたナチス・ドイツとソビエト連邦が突如手を結んだこの条約は、当時の世界に大きな衝撃を与えました。本記事では、この条約に関する練習問題を4問用意し、それぞれ丁寧に解説します。歴史の復習や入試対策にぜひご活用ください。
問題編
問題1

(PUC-SP-2012) 上の風刺画は作者不明のもので、1939年に発表されました。同年にドイツとソビエト連邦の間で調印された条約について、その内容として正しいものを選びなさい。
a) 第二次世界大戦中の両国間の軍事同盟とポーランド分割を保証した。
b) スペイン内戦において両国がファシスト勢力へ軍事支援を行うことを確約し、ドイツの東欧における政治的影響力を高めた。
c) 両国間の公然たる戦争の勃発を防ぎ、ナチス・ファシズムのヨーロッパにおける軍事的進出を阻止した。
d) 第二次世界大戦後の東欧における新たな政治的分割を決定し、同地域でのソ連の覇権を確立した。
e) 両国間の通商関係の強化と相互不可侵の義務を定めた。
問題2
東欧にドイツ民族のための「生存圏」を建設するというヒトラーの膨張主義的構想は、次のどの名称で知られているでしょうか。
a) レーベンスラウム(Lebensraum)
b) ライヒ(Reich)
c) ヴェーアマハト(Wehrmacht)
d) ルフトヴァッフェ(Luftwaffe)
e) 我が闘争(Mein Kampf)
問題3
独ソ条約は、東欧に対するヒトラーの領土的野心の一環でした。しかしその裏には、ヒトラーが達成した重要な戦略的目的がありました。それは何でしょうか。
a) 開戦当初におけるソ連の中立を保証すること。
b) ドイツがイギリスから攻撃された場合に備え、ソ連の支援を確保すること。
c) ソ連との戦争が国民に不人気であったため、ドイツ国民の戦争支持を確保すること。
d) ミュンヘン会談以降に弱体化していたドイツの外交的地位を回復すること。
e) ベッサラビアをめぐる両国間の領土紛争を解決すること。
問題4
以下の記述を読み、正しいものにはV(正)、誤っているものにはF(誤)を付けなさい。
( ) 独ソ条約は、ヒトラーが進めようとしたスラヴ民族隷属計画の一段階であった。
( ) 独ソ条約には秘密議定書が含まれ、ポーランドの領土分割と、あらかじめ定められた他国への侵攻が認められていた。
( ) 独ソ条約では、ドイツが送り出すすべてのユダヤ人をソ連が受け入れることが定められていた。
以上の記述に基づき、正しい組み合わせを選びなさい。
a) F-F-V
b) V-F-F
c) V-F-V
d) V-V-F
e) F-V-F
解答と解説
問題1:正解はA
風刺画が描いているのは独ソ不可侵条約、すなわち1939年8月にドイツとソ連の間で調印された中立協定です。この条約には秘密議定書が添えられており、ポーランドの領土を両国で分割すること、さらにバルト三国とフィンランドをソ連が併合することが取り決められていました。イデオロギー的に相容れないライバル同士であった両国の急な接近は、世界中に衝撃をもって受け止められました。
問題2:正解はA
「生存圏」という概念は、1924年に発表されたヒトラーの著書『我が闘争(Mein Kampf)』の中で示されました。ヒトラーはその中で、新しいドイツ帝国(第三帝国)の建設に必要な「生存空間」の獲得を主張しています。レーベンスラウムとして知られるこの考え方は、19世紀以来ドイツで唱えられてきたものであり、ナチズムによって利用されることになりました。そしてこの生存圏内には、「アーリア人」だけが居住する場所があるとされていたのです。
問題3:正解はA
独ソ条約の最大の戦略的目的は、開戦初期におけるソ連の中立を保証することにありました。ヒトラーの狙いは、まずフランスとイギリスを打ち破り、その後に全戦力をソ連へ向けることでした。この意図は、1941年にドイツが300万を超える兵力を投入してソ連に侵攻した「バルバロッサ作戦」によって明確になりました。
問題4:正解はD
1つ目の記述は正(V)です。独ソ条約は、ヒトラーが構想したスラヴ民族の隷属につながるドイツ帝国形成の一過程でした。2つ目の記述も正(V)です。秘密議定書の存在は、1945年にドイツ側の公文書が詳細に調査されたことで初めて世に知られました。この文書には両国によるポーランド分割が盛り込まれ、ソ連によるバルト諸国およびフィンランドへの侵攻が事実上黙認されていました。一方、3つ目の記述は誤(F)です。条約にユダヤ人の移送・受け入れに関する取り決めは一切含まれていませんでした。