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なぜジェファーソン大統領は通商禁止法を可決させたのか?その背景と目的を解説

通商禁止法(Embargo Act)とは何か

1807年12月に制定された通商禁止法は、アメリカ合衆国がすべての外国との輸出入を禁止した法律です。この法律に署名して成立させたのは、第3代大統領トーマス・ジェファーソン本人でした。

なお、「ジェファーソンの後継者であるジェームズ・マディソンが1807年に通商禁止法に署名した」という説がありますが、これは誤りです。マディソンが大統領に就任したのは1809年3月であり、1807年の時点では国務長官を務めていました。通商禁止法の署名者は間違いなくジェファーソンです。

なぜジェファーソンは通商禁止法を可決させたのか

1. イギリスによるアメリカ船舶への攻撃

当時、イギリスはナポレオン戦争の真っ只中にあり、フランスを封じ込めるために海上封鎖を強化していました。その過程で、イギリス海軍はアメリカ船を拿捕し、乗員を強制的にイギリス海軍へ徴用する行為(インプレスメント)を繰り返していました。

特に1807年6月の「チェサピーク号事件」では、イギリス軍艦ヒューロー号がアメリカ海軍のフリゲート艦チェサピーク号を攻撃し、多数の死傷者を出しました。この事件はアメリカ国内に大きな反発を引き起こし、対英開戦を求める声も高まりました。

2. 戦争を避けるための「平和的強制」

しかし、独立から間もなく軍事力が脆弱だったアメリカにとって、世界最大の海軍を擁するイギリスとの開戦は大きな賭けでした。そこでジェファーソンが選んだのが、武力ではなく経済力で圧力をかけるという「平和的強制(peaceable coercion)」の戦略でした。

アメリカはイギリスとフランス双方にとって重要な貿易相手国でした。貿易を全面停止すれば両国が経済的打撃を受け、アメリカ船舶への干渉をやめて譲歩すると考えたのです。

3. 中立国としての権利の擁護

さらにジェファーソンには、交戦国であるイギリスとフランスのどちらにも加担せず、中立国としての航海・通商の自由を守る姿勢を内外に示すという狙いもありました。

通商禁止法の結果と失敗

ところが、この政策は期待に反して大きな失敗に終わりました。イギリスやフランスへの影響は限定的だった一方、輸出業に依存していたアメリカ経済、とりわけニューイングランド地方の港湾都市は壊滅的な打撃を受けました。農民や商人の暮らしが苦しくなる中で密貿易が横行し、連邦政府の統制への不満が全国で高まりました。

そのため、ジェファーソン政権の末期には同法の緩和が進められ、1809年3月の退任前後に廃止されました。後を継いだマディソン政権は、代わりに非交流法(Non-Intercourse Act)を施行し、イギリスとフランス以外の国との貿易のみを認める方針へ転換しました。しかし外交上の問題は解決せず、この一連の対立は最終的に1812年の米英戦争へとつながっていきます。

まとめ

ジェファーソンが通商禁止法を可決させたのは、イギリスによるアメリカ船舶への攻撃や強制徴用に対抗しつつ、開戦を回避するための経済的手段としてでした。しかし結果的には自国経済を深く傷つけることになり、歴史上「最悪の政策の一つ」と評されることもあります。この失敗の経験は、その後のアメリカの通商・外交政策に大きな教訓を残すこととなりました。