結論から言うと、トーマス・ジェファーソンは1787年の憲法制定会議(フィラデルフィア会議)に出席していません。合衆国憲法の起草に直接関わったわけではないのです。
なぜジェファーソンは会議に出席しなかったのか?
当時、ジェファーソンは駐フランス・アメリカ公使としてパリに滞在していました。この職には1785年から就いており、憲法制定会議が開催された1787年5月から9月の間も、彼は大西洋を挟んだフランスで外交任務に従事していたため、フィラデルフィアに戻ることができなかったのです。
遠く離れた地からの関与
会議に直接参加こそしなかったものの、ジェファーソンは手紙のやり取りを通じて憲法制定の動向に関心を寄せていました。特に、権利章典(Bill of Rights)の追加を強く主張したことで知られています。彼は個人の自由と権利を保障する条項が憲法に盛り込まれていないことを懸念し、この意見が後に最初の10か条の修正条項として実現することになります。
他の著名な欠席者たち
ジェファーソン以外にも、建国の父と呼ばれる重要人物の中には会議を欠席した者がいます。
- ジョン・アダムズ:当時、駐イギリス公使としてロンドンに滞在していたため不参加。
- パトリック・ヘンリー:「共和国において自由を疑うのは犯罪だ」と述べ、招集を固辞して欠席。
まとめ
トーマス・ジェファーソンは憲法制定会議の代議員ではなく、会議期間中は駐フランス公使としてパリにいました。しかし、距離があっても憲法の内容には強い関心を持ち、特に権利章典の追加を訴えたことが、後のアメリカ憲政史に大きな影響を与えました。