1980年代におけるアメリカとイラクの関係は、時期によって協力と対立が入り混じる、複雑かつ変化に富んだものでした。本記事では、この時期の米伊関係における重要な側面を段階的に解説します。
1. イラン・イラク戦争への支援(1980〜1988年)
イラクは隣国イランとの長期にわたる紛争、いわゆるイラン・イラク戦争(1980〜1988年)に深く関わっていました。
当初アメリカは中立の立場を維持していましたが、戦局が進むにつれ、イラクへの政治的・情報面・財政的な支援へと方針を転換します。この転換の背景には、イランの革命的思想が中東地域全体の安定に及ぼしうる影響への強い懸念がありました。
2. 対イラン経済制裁
1979年のイラン革命により、親欧米路線を敷いていたパフラヴィー朝のシャー(国王)が打倒され、ホメイニ師を指導者とするイスラム共和国が樹立されました。
アメリカはこの革命に対し、経済制裁および禁輸措置をもって対応し、両国関係は一層緊張することとなりました。
3. 対イラク武器売却
イランとの戦争で苦戦を強いられていたイラクに対し、アメリカは一定の条件下で武器や軍事装備の売却を承認しました。
その狙いは、イランの圧力によってイラクが崩壊する事態を防ぎ、イランによる勢力拡大を最小限に食い止めることにありました。
4. 化学兵器使用への懸念
一方で、イラクがイラン軍のみならず、自国内のクルド人住民に対しても化学兵器を使用していたことが明らかになり、国際的な懸念が高まっていきました。
アメリカはこうした行為を非難の対象とはしましたが、実際に直接介入に踏み切ることはありませんでした。
5. 1991年湾岸戦争への転換点
1990年、イラクによるクウェート侵攻が発生すると、国際社会から強い非難が集中し、アメリカ主導の多国籍軍による軍事作戦が展開されることになりました。
これはアメリカの中東政策における重大な転換点でした。それまでイラクを支援する立場にあったアメリカは、今度はイラク軍をクウェートから排除するための国際的取り組みを主導する立場へと回帰したのです。
まとめ
総じて、1980年代の米国とイラクの関係は、イラン・イラク戦争という大きな文脈と、イランがもたらすと認識された脅威への対抗という戦略的判断に大きく左右されていました。しかしながら、紛争の構図の変化やその他の要因が重なり、最終的に両国関係は崩壊へと向かい、1991年の湾岸戦争における直接対決へと至ったのです。