アメリカ独立戦争の時代には、後世に英雄として称えられる人物と、裏切り者として名を残す人物の両方が存在しました。イーサン・アレンとベネディクト・アーノルドは、まさにその好例と言えるでしょう。ここでは、二人の功績と転落について詳しく見ていきます。
イーサン・アレンの功績
タイコンデロガ砦の攻略
イーサン・アレンは、1775年に民兵組織「グリーン・マウンテン・ボーイズ(緑山の男たち)」を率いてタイコンデロガ砦を攻略しました。この勝利は、アメリカ独立を目指す武力闘争の幕開けを告げる歴史的な出来事となりました。
サラトガの戦いへの参戦
さらに1777年には、独立戦争の転換点となったサラトガの戦いに参加し、イギリス軍に対するアメリカ軍の決定的な勝利に貢献しました。
捕虜生活と思想の深化
その後、アレンはイギリス軍の捕虜となり、約3年間にわたって拘束されました。しかし、この過酷な投獄期間中も彼は諦めることなく、自らの体験を文章に残し、独自の政治哲学を築き上げていきました。
ベネディクト・アーノルドの経歴
大陸軍での華々しい活躍
ベネディクト・アーノルドは、アメリカ独立戦争の初期には大陸軍で目覚ましい戦果を挙げ、少将の階級まで昇りつめた有能な将校でした。
ウェストポイント売却の陰謀
ところが1780年、アーノルドはウェストポイントのアメリカ軍要塞をイギリス側へ引き渡すという裏切り計画を企てます。しかしこの陰謀は発覚し、彼はイギリス軍の陣地へと逃亡しました。
「裏切り者」としての悪名
イギリス側に寝返った後、アーノルドはイギリス軍を指揮してアメリカ人の入植地への襲撃作戦を複数回実行しました。これにより、彼は「裏切り者」であり「冷酷な殺人者」という悪名を確定させることになったのです。
歴史が残した対照的な評価
結局のところ、イーサン・アレンはアメリカ独立戦争の英雄として今も人々に記憶されている一方、ベネディクト・アーノルドは裏切り者の代名詞として非難され続けています。かつて同じ目的のために戦った二人の人物が、それぞれの選択によって正反対の歴史的評価を受けることになったのは、非常に興味深い対比だと言えるでしょう。