ネビル・チェンバレンは、1937年から1940年にかけてイギリスの首相を務めた政治家です。しかし、第二次世界大戦中に彼が偉業を成し遂げることはありませんでした。その理由は、戦前の政策と開戦後の政局の変化に大きく関係しています。
宥和政策とミュンヘン会談
チェンバレンの名を最も有名にしているのは、ナチス・ドイツに対する「宥和(ゆうわ)政策」です。彼はヒトラーの拡張主義を軍事衝突を避ける形で受け入れ、1938年のミュンヘン会談ではズデーテン地方の割譲を認めました。帰国した彼は「我々の時代の平和」をもたらしたと宣言しましたが、この政策は結果的にヒトラーの野心を助長させ、翌1939年のポーランド侵攻、すなわち第二次世界大戦の勃発につながったと一般的に評価されています。
首相辞任と晩年
大戦が始まると、チェンバレンの指導力には限界が見え始めました。特に1940年のノルウェー作戦の失敗が決定打となり、同年5月に彼は首相を辞任します。後任にはウィンストン・チャーチルが就任し、イギリスは対独強硬路線へと転換していきました。
辞任後もチェンバレンは枢密院議長として閣内に留まりましたが、まもなく癌と診断されます。そしてバトル・オブ・ブリテン(英独航空戦)が始まって間もない1940年11月、彼はこの世を去りました。
まとめ
つまり、チェンバレンが第二次世界大戦中に偉業を成し遂げられなかったのは、宥和政策への批判によって求心力を失い、開戦からわずか1年足らずで首相の座を退いたうえ、間もなく病で亡くなったためです。歴史家たちの評価は分かれるものの、彼の政策は戦争回避の試みとして、あるいはその失敗例として、今なお国際政治の教科書に登場し続けています。