ニュルンベルクのナチ党地方本部「ガウハウス」とは
ドイツ・ニュルンベルク市に建つナチ党の地方本部、通称「ガウハウス(Gauhaus)」は、1935年から1937年にかけて建設された建物です。設計を手がけたのはドイツ人建築家フランツ・ルフ(Franz Ruff)です。1945年の火災で損傷を受けましたが、その後修復され、現在ではナチスのシンボルがすべて取り除かれている点を除けば、建設当初の姿をほぼそのまま留めています。
ニュルンベルクのガウハウスは、フランケン(フランコニア)地方全体を管轄するナチ党の本部でした。ナチ党の創設メンバーの一人であるユリウス・シュトライヒャー(Julius Streicher)は、1933年から1940年までフランケン大管区指導者(Frankenführer)を務め、この建物に自身の執務室を構えていました。

ユリウス・シュトライヒャーの経歴
シュトライヒャーは、ナチス体制初期における最重要人物の一人でした。ヒトラー本人やルドルフ・ヘス、ヘルマン・ゲーリングといった党の創設者たちと同じく、第一次世界大戦では勇戦し、中尉まで昇進したうえで鉄十字章を受章しています。

1918年に大戦が終結しても、シュトライヒャーの「戦い」は終わりませんでした。戦後まもなく、彼は数多く存在した準軍事組織「義勇軍(フライコーア/Freikorps)」の一つに加わり、1918年から1919年にかけて起きた共産主義革命の鎮圧に参加しました。そして準軍事組織が完全に解体されると、今度は政治の世界へ足を踏み入れ、ナチ党の最初期の党員となったのです。
扇動誌『シュテュルマー(Der Stürmer)』の創刊
1923年、シュトライヒャーは風刺雑誌『シュテュルマー(Der Stürmer)』を創刊し、活動の場を大きく広げました。この雑誌は若い読者層を主な対象とし、漫画などを通じて国家社会主義(ナチズム)のイデオロギーを植え付けることを目的としていました。誌名の「シュテュルマー」は「突撃する者」を意味しますが、同誌が最も強力に広めた思想こそ、激しい反ユダヤ主義でした。ナチス政権下の時代、この雑誌はドイツの青少年の多くを扇動し、思想的に染め上げた責任を負っているのです。

失脚とニュルンベルク裁判
1940年、シュトライヒャーは、1938年11月9日の「水晶の夜(クリスタルナハト)」において、ドイツおよびオーストリアのユダヤ人から略奪・接収された資金を着服したとして告発され、すべての公職から解任されました。以降、彼は公的な生活から身を引いて隠棲していましたが、1945年に逮捕されます。ニュルンベルク裁判にかけられたシュトライヒャーは、人道に対する罪で死刑判決を受け、1946年に刑が執行されました。
ニュルンベルクのガウハウスへのアクセス
旧ニュルンベルク・ガウハウスは市の中心部に位置しており、中央駅からすぐ近くという好立地にあります。
ガウハウスの見学について
ガウハウスの建物は1945年の火災で損傷しましたが、第二次世界大戦後に修復されました。同年には、地元紙『ニュルンベルガー・ナハリヒテン(Nürnberger Nachrichten)』の本社がこの建物に置かれました。現在も建物は私有されており、一般向けの見学は行われていません。