歴史物語

ポーランド人民共和国最大の機密――極秘部門「台風」はいかにしてオケンチェ空港の外交郵便を盗み読んだのか

外交郵便の秘密など、彼らには存在しなかった。外交郵便を盗み、どんなに複雑な封印措置をも突破し、コピーを取って……そしてすべてを元通りに戻した。最高度に厳重に保管された文書の内容を暴きながら、誰もその痕跡を見つけられなかった。ポーランド人民共和国(PRL)時代、内務省第9局の元職員たちが、オケンチェ空港での活動の舞台裏を明かす。

極秘指定の外交郵便

国際法上、外交郵便は不可侵とされている。しかし、諜報機関がその中身を覗く方法を探っていないと信じるほど、世間は素直ではない。だからこそ各国は、封蝋から特殊なベルト、奇妙な仕掛けの錠前や開封回数を記録するカウンター付きの金属ケースまで、あらゆる防護手段を開発してきたのだ。

ワルシャワのオケンチェ空港では、各国大使館の運転手が時計を片手に待ち構え、そわそわと足を動かしていた。郵便物がポーランド人の手に留まる時間を、必要最小限に抑えなければならないからだ。彼らは安心するために時間を計っていたのである。

飛行機の着陸から運転手が郵便を受け取るまでの短い時間で、我々が床下の部屋で封印を解除し、封筒を開き、全文書を撮影し、そしてすべてを元の状態に復元する――しかも痕跡を一切残さずに――ことなどできるはずがないと、彼らは思っていた。

だが、我々はやってのけた。港でも駅でも、郵便物が現れる場所ならどこでも同じことをした。当局のこのセクションは、正式名称を「台風(タイフーン)」といった。

精密作業

技師:1970年代後半、あるいは1980年代初頭だったと思う。同僚とともに、海運会社ハルトヴィヒがグディニャ港で所有する倉庫に入った。そこには東京から届いた、数メートルの長さの木箱があった。日本人はプラスチック製のバンドで梱包していたが、市販のロールから切り出せるような代物ではない。特注品で、印刷の施された特殊なものだった。

切ることはできず、後で伸ばすこともできないし、きれいに仕上げるための適切な熱シーラーも持っていない。堅牢な封印だ。だが私は考えた。「バンドを外さずに箱を開ける方法はないだろうか」と。

深夜3時、ようやく深く打ち込まれた釘を抜くことに成功し(……)、中に入った。中には施設向けの物品が山積みだった。電子機器、マニュアル類、すべて湿気防止のためタール紙で包装されている。我々が最も関心を持っていたのは、暗号機だった。

ポーランド人民共和国最大の機密――極秘部門「台風」はいかにしてオケンチェ空港の外交郵便を盗み読んだのか

空港班のメンバーは、外交郵便を封印する印章の複製を作ることにほぼ成功していた。おかげで、書類鞄を開封する際に原本を傷つけても構わず、作業は格段に楽になっていた。

設計の詳細が必要だったのは、そうした通信の監視手法の開発を専門とする、他部署の同僚たちだ。この箱を開けられたと知った彼らは、飛び上がるほど喜んだ。彼らだけではどうにもならなかっただろう。

釘は抜くのが簡単だと言われるが、これは機械で打ち込まれた、深い釘だった。抜くためには板をこじ開けなければならず、それでいて痕跡を残してはならなかった。狙いは、虫眼鏡で覗いても誰かがいじったことが分からないようにすることだった。さらに日本人はわざわざ四角い頭の釘を使っていた。少しでも向きがずれれば、木材には四角ではなく星形の跡が残る。すべての釘を、元と同じ位置に打ち直さねばならなかった。まさに精密作業(……)だった。

エーテルの蒸気の中で

郵便屋:面白くなるのは飛行機が着陸した瞬間だ。空港の外交郵便は、他の手荷物と同じ検査――爆発物がないかどうか――を受けることになっていた。それが我々にとって幸運の鍵だった。

長年かけて、空港スタッフの中に何人もの協力者を得た。例えば、飛行機が到着して荷物がまもなく届くと合図を送ってくれる女性がいた。退役軍人の少佐で、オケンチェで副収入を得ていた人物のことも覚えている。

ポーランド人民共和国最大の機密――極秘部門「台風」はいかにしてオケンチェ空港の外交郵便を盗み読んだのか

理論上、検査のために郵便を運ぶのは彼の役目だった。そこで彼は鞄をドア越しに、検査が行われるはずの部屋へ投げ込んだ――少なくとも空港職員たちはそう思っていた。だが我々はその部屋では何もせず、反対側の自分たちのドアを開け、麻袋をつかんで自室へ走ったのだ。

開封作業の難易度はもちろん、各国が施す防護措置次第だった。こうした小包は通常、封印されている。大抵は印章の複製を作れたが、時には最初から問題になると分かることもあった。そんなときは、鞄を閉じる紐を締め直すという原始的だが効果的な方法を使った(……)。

もっと大きな問題? あったとも。例えばフィンランドやスウェーデンの郵便を封印していたテープだ。第一に、同じテープを入手するのが難しかった。普通のテープではなく、印刷の入った特殊なものだったからだ。第二に、剥がすのが恐ろしく大変だった。紙の層を傷つけないよう加熱し、切断する……悪夢のような作業だった(……)。

テープの大半は石油エーテルで剥がしていたが、これは残念ながら有毒な物質だ。何年もその蒸気を吸い続けたせいで、私の膵臓は完全に壊れ、今は糖尿病を患っている。予防できたはずなんだ。テープを剥がす別の手段は他にもあったのだから(……)。

見ない手はない

髭の男:忘れてはならないのは、検査に使える時間がごく短かったことだ。遅延に気づかれることのないよう、すべてが完璧に同期していなければならなかった。いずれにせよ各機関は、外務省に対し飛行機からの郵便受け取りの許可を求めていた。

外務省にも我々の人間がいて、そうした動きを教えてくれた。もちろん我々は、「そんなことは絶対にできない」「むしろ最近は遅延が長引いている」「空港は渋滞で大混乱だ」「本当に申し訳ない」と答えるよう伝えた(……)。

郵便屋:もう何年も経つから、開けて撮影して閉じるまで正確にどれくらいかかったのか、今となっては言えない。確かに、運転手が気づかないほど短い時間ではあったが(……)。開けた国の郵便が多すぎて、全部を挙げることすらできない。当局の他のセクションは人民民主主義諸国(社会主義圏)には手を出さなかったが、我々は時々彼らの郵便も覗いていた。せっかくチャンスがあるのに、見ない手はないだろう?

西側についてはどうか。エドヴァルド・ギェレク党首が融資交渉の一つに備えられるよう、文書を複写した功績で金十字功労章を受け取ったことをご存じか。会談に出向く頃には、彼は質問をすべて把握していた。西ドイツの外交郵便から引き出したものだ。

ポーランドとの別れ

狩人:オケンチェでは他の作戦もあった。あるとき、南米の外交官が空港に現れ、手荷物に麻薬を隠しているという情報が入った。本当の話だ。

同僚と現場に行き、奥の方で彼のスーツケースを確保した。相棒はダイヤル錠が開けられず、私が試みたら――プッ、プッ、両方とも開いた。中を見ると、工場から出荷されたばかりのようにアイロンがけされ、畳まれたTシャツが入っている。服をどけると、確かに麻薬があった。

(……)すべてを撮影し、スーツケースを閉じて、客が普段どおり受け取れるように戻した。暗証番号も解読し、税関職員に伝えて成り行きを見守った。

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米国人は文書を特注の黒いプラスチック袋に隠し、開口部を封印していた。第9局の将校たちは袋を偽造し、これにより米国宛の小包を定期的に検査することが可能になった。

税関職員は実際に外交官を脇に呼び、スーツケースについて指摘事項がある、犬が反応するような匂いがすると告げた。それで、中を見ても構わないかと尋ねる。外交官はもちろん問題ないと答えたが、番号を忘れてしまったと言う。

我々の税関職員は「分かっています」と返し、何らかの方法で開けるふりをしながら、実は我々が渡した番号をダイヤルしていた。バン、とスーツケースが開く。相手は一瞬で青ざめた。こうした我々の「ショー」が、外交の世界でいくらかの利益をもたらすこともあったのだ。我々の外務省が動き、男はポーランドに別れを告げねばならなくなった。

出典

本稿は、トマシュ・アウワシェヴィチ著『見えざる者たち――ポーランド人民共和国秘密機関の最大の秘密』(アゴラ出版、刊行されたばかり)からの抜粋である。