歴史物語

ラファエル前派の創設者ジョン・エヴェレット・ミレイの人生を彩った重要な出来事

イギリスを代表する画家であり、ラファエル前派兄弟団(Pre-Raphaelite Brotherhood)の創設メンバーの一人であるジョン・エヴェレット・ミレイ。その人生は数々の重要な出来事と輝かしい業績に彩られていました。ここでは、彼の生涯における主な出来事を時系列でご紹介します。

1. 生誕と幼少期

ジョン・エヴェレット・ミレイは1829年6月8日、イングランドのサウサンプトンに生まれました。幼い頃から並外れた芸術的才能を発揮し、9歳にして絵画のレッスンを受け始めました。

2. 王立美術院への入学

1840年、わずか11歳で王立美術院(Royal Academy of Arts)の学校に入学しました。これは当時の最年少記録となる快挙でした。

3. ラファエル前派兄弟団の結成

1848年、ウィリアム・ホルマン・ハントやダンテ・ゲイブリエル・ロセッティらとともに「ラファエル前派兄弟団(PRB)」を共同設立しました。このグループは、当時の因習的な様式や技法を拒否し、ルネサンス以前の芸術からインスピレーションを得ることで、美術界の改革を目指しました。

4. 初期の主要作品

ミレイは『イザベラ』『キリスト、両親の家にて』『オフィーリア』といった初期作品によって一躍名声を得ました。これらの絵画は、緻密な描写、鮮やかな色彩、そしてラファエル前派の理念への忠実さを体現するものでした。

5. 「キリスト、両親の家にて」をめぐる論争

1850年、『キリスト、両親の家にて』は聖家族の型破りな描き方により大きな論争を巻き起こしました。大工としてのヨセフを謙虚に描いたその徹底したリアリズムは批判を受けましたが、同時に多くの芸術家たちからの称賛も勝ち取りました。

6. 成功と結婚

1850年代から1860年代にかけて、ミレイは肖像画、歴史画、風景画で高い評価を獲得し、画家として大きな成功を収めました。1855年には、評論家ジョン・ラスキンとの婚姻が無効となった後に自由の身となったユーフェミア(エフィ)・グレイと結婚し、二人の間には8人の子どもが生まれました。

7. 画風の転換

ミレイは次第にラファエル前派の厳格な理念から距離を置き、より自然主義的な絵画様式へと移行していきました。『若き日のウォルター・ローリー』『北西航路』などの後期作品には、この変化が色濃く反映されています。

8. ナイト爵位と晩年のキャリア

1885年、ヴィクトリア女王から準男爵の称号を授けられ、「サー・ジョン・エヴェレット・ミレイ」となりました。彼は精力的に制作を続け、多くの影響力ある弟子や愛好者を育て、ヴィクトリア朝時代を代表する画家としての地位を確固たるものにしました。1896年には念願の王立美術院会長にも就任しています。

9. 盟友との別れ

1882年には同志ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティが亡くなり、ミレイは深い悲しみに包まれました。もう一人の創設メンバーであるウィリアム・ホルマン・ハントは1910年まで生き、結果的にミレイの死を見送ることとなりました。

10. 死去と遺された遺産

サー・ジョン・エヴェレット・ミレイは1896年8月13日、67歳で穏やかにこの世を去りました。彼は美しさと緻密な描写で知られる豊かな芸術的遺産を残し、ラファエル前派美術運動の形成に多大な貢献を果たしました。ミレイの作品は今日でも世界中で愛され、高く評価され続けています。